茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

花の兄

2007-01-26 21:24:56 | m-tamagoの物想い
 先週末、東京では梅が開花した。昨年より20日早く、平年より11日早いという。
 最も寒いといわれる「大寒」を過ぎたばかりだけれど、春は着実に近づいている。関西方面の梅も平年より2-3週間早い開花だとか。

http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/147247cc68ee165aec053970223e1226

 先日、デパートでお寿司を買って帰ったら、中に蕾の梅の小枝が入っていた。捨てるに忍びなく、コップに水を入れて挿しておいた。部屋の中は温かいのだろう、固かった蕾が徐々に膨らんでいくのがわかる。それを見て、ああ、よかったとなんだかやけに感動してしまった。毎日水を換え、早く花咲けと心待ちにする私がいた。そして、とうとう。写真は私の部屋でほころんでくれたその梅の花である。お寿司を堪能し、お花に感動し、一折で2倍楽しんだ。

 和食屋さんでも、季節の花・葉や枝などが添えられて料理を引き立ててくれる。昔はごく身近にある花や枝を手折って料理に添えたのだろうが、そうした自然の恵みも、今や商売によって成り立つ時代。先日テレビで、とある山深い過疎地域では都会の懐石料理屋さんの受注に従って野山に生える花や枝を集め出荷してお金を稼いでいるというニュースを見た。村おこしにもなり、仕事があるということは老人にとって張りのあることで村が活気を取り戻したそうだ。また老人同士は誰が売り上げ一番になるか、それぞれ庭に季節の植物を植えたり、工夫して競い合っているという。村に活気が出たことは誠に喜ばしいことだが、野に咲く花や枝すらお金で取引される時代、仕方がないこととはいえ、それ以来、お料理屋さんで見かけると少し味気なく感じるのだった。確かにどれも選び抜かれた商品なのだろう、虫食いなどはなく、美しい色形をして料理に添えられている。だが美しさの奥に秘められた現代社会の現実。

 手折った人の真心がこもった花や枝に出会う為には自分もやはり労を惜しんではいけないのだろう。自分で大切に育てた花や枝の命を、お客様のために少しだけ分けてもらう、そんな気持ちで添えられたなら、料理は本当に生きたものになるのかもしれない。お茶の懐石の心はそういうものである気がする。
 もちろん、理想と現実は厳しく、全てを自身で準備することは難しい。誰かの力添えでお客様が幸せな気持ちになれたらそれに越したことはない。そんな時は、買えばいいではなく、御蔭様でという気持ちで添えてみたい。食卓に花を添えるために一生懸命野に出て集めてくれているおばあさまたちの顔を思い出したい。

 誰が手折ってくれたのか、寿司に添えられた小さな梅の枝が花開くのをみて、そう思った。
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18 コメント

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一輪の花 (kazimodo)
2007-01-27 00:51:39

 君が手折りし梅の花と昔日のうたを聞くたびに、手折る人の姿や、野山の景色が髣髴とします。
 
 デパートのセロファンに包まれた蕾のなかに、人の暮らしを思い描くたまごさんのイマジネールは、ヴァヴィロンの百合。
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村おこし (山桜)
2007-01-27 09:47:14
 私もその里のお話、新聞やTVで拝見しました。
山椒やら楓やら花穂やら、つま飾りになるものを優しい手で
摘んで慈しむようにそっと並べて出荷する、里のお母さん方の
様子がとても生き生きとしてらして、素敵でした。

 勿論自ら手折って添えるのが一番のおもてなしですが、都会では
ままならぬことも多いことですし、あまり競争が熾烈にならねば
これもまたいいことかなと思います。
 一枝の梅の花からその後にいる人々の顔まで浮かんで嬉しいです。
ありがとうございました。
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おもてなし (飛翔)
2007-01-28 01:44:37
 一枝の梅と、緋毛氈を連想する背景のあかね色のお写真から、たまごさんの想いが伝わってきます。
嬉しい春の兆し、里山に暮らす人々のやさしさ、厳しい現実、色々な事を感じました。
 そして、苦を見ずに、庭の南天や桜等、直ぐに食卓に添えられる環境に慣れていましたが、
こんなにも自然が身近にあり、その恩恵を受けている事に、改めて感謝するばかりです。
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その番組、観た。 (とく)
2007-01-28 02:14:28
料理に添えられた草花一つがいろんな事を語っているのだろうね~
山里の暮らし、都会の暮らし・・・
たまごさんがそう思ってくれると、山里のおばちゃん達は喜ぶよ。
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Unknown (タロウの母)
2007-01-28 09:29:31
添えられた梅の花も こんなに大事に愛でられて
その命を全うできたでしょう
時に すべてが「当たり前」としか受け取れない自分の心に 「喝っ!」をいれときます…
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一輪の花 (m-tamago)
2007-01-28 10:37:59
kazimodoさん、おはようございます。

野山の恵みを摘み取るおばあさまたちの姿、生き生きとしていました。私も昔祖母の家で色々な植物を摘んで口にしたり、虫を捕まえたりしていたことをなつかしく思い出しました。私の原風景はその田舎にあります。
 
デパートやコンビニにあるものだって誰かが作っているんですよね~。便利な影には誰かの力有りと改めて感じました。

ヴァヴィロンの百合って、、、、どういうものなんでしょう。教えて下さい~。
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村おこし (m-tamago)
2007-01-28 10:41:02
山桜さん、おはようございます。

山桜さんもご覧になりましたか。
本当に里の皆さん、生き生きとしていらっしゃいましたね。
それにしても、本当に小さい梅の枝でしたが、ちゃんと咲いてくれるとは生命に力強さを感じました。
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おもてなし (m-tamago)
2007-01-28 10:44:15
飛翔さん、おはようございます。

紅白で思った以上に写真よくとれました。それにしても、梅の花、ちょっとはじけてポップコーンのようにも見えますね。

飛翔さんのところでは、庭の南天や桜等、直ぐに食卓に添えられる環境、うらやましいです。
我が家も山椒、茗荷は母が庭から摘み取って料理に使っています。いいものですよね。
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その番組、観た? (m-tamago)
2007-01-28 10:47:13
とくさんもご覧になりましたか!

寿司折の梅と番組から感じることが多いkとでした。
山里の暮らし、都会の暮らし・・・どちらも長短ありますね。
私は都会育ちですが、小さい頃祖母の家で過ごしたことは今も心に深く刻まれています。


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梅の花 (m-tamago)
2007-01-28 10:50:39
タロウの母さん、おはようございます。

私も「当たり前」と思ってきたことが、年のせいか、色々な人の力添えで成り立っているなあと感謝することが増えてきました。少しは成長してるってことでしょうかね。
でも、日々葛藤してます。自分自身に「喝っ!」ばかりです。
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