以前、茶の基本思想として、四規七則、利休百首という教えがあるとお話しました。
和敬静寂 千利休の四規七則
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/0770ef8aced35ccbea10684681b16461
利休百首
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/a1a5cf356f817e61c6b07ff97898dd1c
いずれも茶の湯の精神を伝えるもの、道具の扱い方、点前の心得などを教えるものとして、裏千家ではよく耳にもしますし、習うほどに大切な言葉として迫ってきます。
不定期ですが、これから利休百首について、ひとつずつ振り返り、自分なりの考察や思いを含めつつ、書いていきたいと思います。茶道を習っている方も、そうでない方も、その言葉を聞いた時の思いやそれに纏わる経験を忌憚なく書き込んで頂き、互いに感じあい、高めあうきっかけになれば幸いです。
尚、書くにあたっては井口海仙先生による利休百首の解説本を参考にしております。
井口海仙先生(1900-1982)は、裏千家13代円能斎の三男に生まれ、14代淡々斎の実弟として、大正・昭和の茶道の隆盛に尽力した方です。また文筆の人としても茶道研究に随筆に多くの著作を残し、裏千家の世界では有名な方です。
1.その道に入らんと思う心こそ わが身ながらの師匠なりけり
百首の最初に相応しい。
その道に進もう、学ぼうと思った気持ちこそが、自分の師匠である。
確かに、何事もやろうと思わなくては何も始まらず、目的や志をもつということは大切なことです。
私が茶道の門を叩いたのは大学二年生の春。何か日本文化を学びたいという気持ちからだった。先輩に教えてもらう割り稽古、新しい所作を習うたびワクワクしたことを覚えている。やがて人様の前で点前を披露する日を迎えることができた。半分遊びのような形でありながら、魅力を感じながら続けてきた茶道が、最近は楽しみつつも真剣勝負のような形になっていった。
学びたいという気持ちが習うほどに強くなっていったからこそ、今があるのだろう。茶道の道を自発的に歩もうとする気持ちこそが、私の心の中に生まれた最初の師匠であり、最後までかわらぬ師匠、まさに一生のおつきあい。
自身の気持ち、目的、志がなければ、行動は伴わない。特に芸や道というのは、自分から進んで求め学んでいかなければ、上達はのぞめないように思う。わが身の師匠はマイペースだが、休み休みであっても生き続けるように、これからも自分を保っていきたいと思う。
思えば、皆が習っているからと小さい頃習ったピアノは、才能があると先生に言われながらも全く上達せず、結局やめてしまった。やはりピアノに関しては親や周囲に勧められて始め、ある程度までにはなったが心底好きにはならず、自分から積極的に求めなかったからなのだろう。
この言葉を改めて読んで、その道に入らんと思う心、茶道との出会いを大切にしようと思いました。
皆様、その道に入ろうと思ったのはいつですか?何故でしたか?
和敬静寂 千利休の四規七則
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/0770ef8aced35ccbea10684681b16461
利休百首
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/a1a5cf356f817e61c6b07ff97898dd1c
いずれも茶の湯の精神を伝えるもの、道具の扱い方、点前の心得などを教えるものとして、裏千家ではよく耳にもしますし、習うほどに大切な言葉として迫ってきます。
不定期ですが、これから利休百首について、ひとつずつ振り返り、自分なりの考察や思いを含めつつ、書いていきたいと思います。茶道を習っている方も、そうでない方も、その言葉を聞いた時の思いやそれに纏わる経験を忌憚なく書き込んで頂き、互いに感じあい、高めあうきっかけになれば幸いです。
尚、書くにあたっては井口海仙先生による利休百首の解説本を参考にしております。
井口海仙先生(1900-1982)は、裏千家13代円能斎の三男に生まれ、14代淡々斎の実弟として、大正・昭和の茶道の隆盛に尽力した方です。また文筆の人としても茶道研究に随筆に多くの著作を残し、裏千家の世界では有名な方です。
1.その道に入らんと思う心こそ わが身ながらの師匠なりけり
百首の最初に相応しい。
その道に進もう、学ぼうと思った気持ちこそが、自分の師匠である。
確かに、何事もやろうと思わなくては何も始まらず、目的や志をもつということは大切なことです。
私が茶道の門を叩いたのは大学二年生の春。何か日本文化を学びたいという気持ちからだった。先輩に教えてもらう割り稽古、新しい所作を習うたびワクワクしたことを覚えている。やがて人様の前で点前を披露する日を迎えることができた。半分遊びのような形でありながら、魅力を感じながら続けてきた茶道が、最近は楽しみつつも真剣勝負のような形になっていった。
学びたいという気持ちが習うほどに強くなっていったからこそ、今があるのだろう。茶道の道を自発的に歩もうとする気持ちこそが、私の心の中に生まれた最初の師匠であり、最後までかわらぬ師匠、まさに一生のおつきあい。
自身の気持ち、目的、志がなければ、行動は伴わない。特に芸や道というのは、自分から進んで求め学んでいかなければ、上達はのぞめないように思う。わが身の師匠はマイペースだが、休み休みであっても生き続けるように、これからも自分を保っていきたいと思う。
思えば、皆が習っているからと小さい頃習ったピアノは、才能があると先生に言われながらも全く上達せず、結局やめてしまった。やはりピアノに関しては親や周囲に勧められて始め、ある程度までにはなったが心底好きにはならず、自分から積極的に求めなかったからなのだろう。
この言葉を改めて読んで、その道に入らんと思う心、茶道との出会いを大切にしようと思いました。
皆様、その道に入ろうと思ったのはいつですか?何故でしたか?
さっそく書き込みさせていただきます。
そういえば、私も子どもの頃に習ったピアノ、受験をきっかけに辞めてしまい、それっきりです。
お茶ぐらいですね、こんなに続いたのは。
きっかけが「もう、人前でハジをかきたくない!」でしたから、切実でしたし、社会人になっていたので「身銭を切っている以上、着実に身につけたい」とか「無責任にサボれない」とも思ってました。
気がつけば~こんなに経っているのに、まだ自分には知らないことがたくさん!
果てしない道のりです。
強い茶道への気持ちもないまま、友達の影響で流されて、今があります。不思議ですね~~。
いい先生方に恵まれたこともあって、習い始めてから茶道の面白さ・奥深さを感じてはまりましたね。
と同時に難しさも実感…
私も子供の頃ピアノを習ったことがあります。結局学校が忙しくて辞めました。手指が短くて両手広げても1オクターブ届かない時に限界を感じましたね^^;
ピアノは同じ道を辿っていたのですね。
私もこんなに長く続いているのはお茶だけです。
>きっかけが「もう、人前でハジをかきたくない!」でした
>「身銭を切っている以上、着実に身につけたい」とか「無責任にサボれない」とも思ってました。
やはり小さい頃より自分で習おうと思い、自分のお金で続けているものの方が真剣味が違いますよね。
いくら勉強しても知らないことばかり、お互い頑張りましょう!
>仕事のあと 池坊学園にいかせ、お花、洋裁、お茶と習わせました。
すごいですね。まさに花嫁修業~。
>友達の影響で流されて、今があります。
でもきっと基本はお好きだったんでしょうね。
友達、周囲というのも大きな影響がありますよね。
>美味しいお茶とお菓子という気軽な理由
私もそれは大きかったですね。通いつづけたのは食い気もあったかも。
お茶は習うほどに、面白さ・奥深さと同時に難しさ、
実感しますね。私もです。でも、だから辞められないというか。。。。魅力に引き込まれるというか。
>手指が短くて両手広げても1オクターブ届かない時に限界を感じましたね^^;
私もですー。手が小さくてオクターブがなかなか届かず、お風呂で指の間を延ばしたりしてましたねー。今や全然指が動きません(><)