昨日の続きになります。
裏千家オンライン茶道学 家元道話4「春在一枝中」
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/17408391fb51e91bb071dc7a65157000
家元が、自分の周りにある自然のうつろいに目を向け、感じ、味わいなさいとおっしゃって下さった気がして。。。。
コロナ自粛で、元気そうに見えても、今までとはあまりに違う状況に、
知らないうちにどこか少しおかしくなっているところ、無理しているところが皆さんあると思います。
私自身も時間があるだけに余計なことを考えて、少し精神的にバランスがおかしいと感じることがありました。
やりたいことやるべきことの半分も実現できていないとか、何かしなくちゃ!とプレッシャーを感じたり。若い時は変に自信家だった私、年を重ねて落ち着くどころか、焦ってばかりいる。
そんな時に、出会った新聞記事。
ああ、そんなにがむしゃらにならなくてもいい、私は私でいい、と肩の力を抜くことができました。
*************************
朝日新聞 令和2年9月9日
わたしたちが生きる意味とは
ALS患者嘱託殺人事件が問うもの 下
体が不自由であっても、なくても、「生きる意味」を見失いそうになることは誰しもあり得ます。
生きる意味とは、それを受け入れる社会とは。命について考える二人に聞きました。
そのうちのお一人、作家・歌手 ドリアン助川さんの言葉
事件で亡くなった女性が対峙した苦悩と絶望を思うと(自分の殺害を依頼した)彼女の気持ちがわからないわけではありません。ただ、社会に何らかの働きかけをして生きてこそ人間だという社会の空気が彼女を追い込んでしまったのではないかと思うのです。
社会に役立つために仕事をしたい、お金をもうけたい、偉い人になりたい。そうした価値観を否定はしません。でも、ひとの命はそれだけでは語りきれない。
重要なのは、関係のなかに自分の存在を見いだすこと。
「積極的感受」と言っているのですが、人間はこの世を目撃し、感受する者として存在するというとらえ方です。
木、鳥、太陽、音、光、ひと、人工物など世界のすべてを、見たり、聞いたり、感じたりして関係を持つことに生きる意味はある。
仕事も収入もなかった40歳のころ。同世代の勤め人より稼がなくては、名を世に出さなくてはという気持ちがあった。でもそうではない自分がみじめでした。
アパートの近くの多摩川の河原を散歩していた時、コスモスは風がそよげば踊り、鳥は美しい声を聞かせてくれた。花が美しいと思う僕が、花との関係のなかに確かに存在し、それだけで十分。自分の多摩川だと思った。僕の人生の一部になったのです。人間社会ではだめだけれど応援しているよ、と生命に励まされた感覚でした。
時には社会に役立たなければという意識から解き放たれて、鳥を数えた一日や、星が見えたことが最高だね、と思えることに価値を置く社会があれば、こうしたことが天からの祝福だと彼女が思えていたなら。彼女の気持ちも違っていたかもしれません。
「死にたい」「自分には何もできない」。そんな声がメールでよく届きます。
「感受」の話を伝え「明日一日、生きてみよう」と返すと「生きてみます」という返事も来る。
体の力が失われることに恐れを抱く難病の人に「社会でできることが減ったとしても、感受できる世界は減らない」と伝えた時は「感じる時間を増やそうと思う」と返ってきた。
学生に本を薦めると「面白いですか?」と聞かれます。自分で読まないとわからない。生きる意味も、生きてみないとわからない。体が動かなくても、生きることをあきらめる必要はない。
みんな、この世を感受し存在たらしめる仲間です。
あなたには、きょう、話しかける木はありますか?(聞き手・森本美紀)
*************************
今ここにいるだけでいい。
直接言葉を交わさなくても仲間はいる。
何かが、誰かが、あなたを感じてくれている、大切に思ってくれてる。
自分にプレッシャーをかけたり、頑張ることも時には必要ですが、
無駄に焦ったり、疲れたなと思った時は、空を見上げ、花を見たり、風や太陽を感じたり。。。
そんな時間の方が実は大切で、充実しているのかも。
茶道って、それの究極かもしれないとも思います。
和室という静かな空間で、無になって、床の軸や花を味わい、香の香りをきき、釜の音に耳を澄ます。
美味しいお菓子を頂き、抹茶で喉を潤す。
亭主との間に言葉はなくても、何かを感じられる。心も体も満たされる。
勿論、最初は点前を覚えるのに必死で、感じるどころではないんだけれど。
子供が二年生の頃、最近の小学生は忙しすぎて空想する時間がないので、そういう時間を作ってあげて下さいと先生がおっしゃっていました。
何をするでもなくぼーっとする時間、余白の時間って、年齢にかかわらず人間がらしくあるために大事なんでしょうね。
焦ったり、自分が情けないと感じたら、余白の時間、感じる時間を。
美しい白梅。
木蓮の花芽。
椿も空高く咲く。
今日も自然はあるがまま。
裏千家オンライン茶道学 家元道話4「春在一枝中」
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/17408391fb51e91bb071dc7a65157000
家元が、自分の周りにある自然のうつろいに目を向け、感じ、味わいなさいとおっしゃって下さった気がして。。。。
コロナ自粛で、元気そうに見えても、今までとはあまりに違う状況に、
知らないうちにどこか少しおかしくなっているところ、無理しているところが皆さんあると思います。
私自身も時間があるだけに余計なことを考えて、少し精神的にバランスがおかしいと感じることがありました。
やりたいことやるべきことの半分も実現できていないとか、何かしなくちゃ!とプレッシャーを感じたり。若い時は変に自信家だった私、年を重ねて落ち着くどころか、焦ってばかりいる。
そんな時に、出会った新聞記事。
ああ、そんなにがむしゃらにならなくてもいい、私は私でいい、と肩の力を抜くことができました。
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朝日新聞 令和2年9月9日
わたしたちが生きる意味とは
ALS患者嘱託殺人事件が問うもの 下
体が不自由であっても、なくても、「生きる意味」を見失いそうになることは誰しもあり得ます。
生きる意味とは、それを受け入れる社会とは。命について考える二人に聞きました。
そのうちのお一人、作家・歌手 ドリアン助川さんの言葉
事件で亡くなった女性が対峙した苦悩と絶望を思うと(自分の殺害を依頼した)彼女の気持ちがわからないわけではありません。ただ、社会に何らかの働きかけをして生きてこそ人間だという社会の空気が彼女を追い込んでしまったのではないかと思うのです。
社会に役立つために仕事をしたい、お金をもうけたい、偉い人になりたい。そうした価値観を否定はしません。でも、ひとの命はそれだけでは語りきれない。
重要なのは、関係のなかに自分の存在を見いだすこと。
「積極的感受」と言っているのですが、人間はこの世を目撃し、感受する者として存在するというとらえ方です。
木、鳥、太陽、音、光、ひと、人工物など世界のすべてを、見たり、聞いたり、感じたりして関係を持つことに生きる意味はある。
仕事も収入もなかった40歳のころ。同世代の勤め人より稼がなくては、名を世に出さなくてはという気持ちがあった。でもそうではない自分がみじめでした。
アパートの近くの多摩川の河原を散歩していた時、コスモスは風がそよげば踊り、鳥は美しい声を聞かせてくれた。花が美しいと思う僕が、花との関係のなかに確かに存在し、それだけで十分。自分の多摩川だと思った。僕の人生の一部になったのです。人間社会ではだめだけれど応援しているよ、と生命に励まされた感覚でした。
時には社会に役立たなければという意識から解き放たれて、鳥を数えた一日や、星が見えたことが最高だね、と思えることに価値を置く社会があれば、こうしたことが天からの祝福だと彼女が思えていたなら。彼女の気持ちも違っていたかもしれません。
「死にたい」「自分には何もできない」。そんな声がメールでよく届きます。
「感受」の話を伝え「明日一日、生きてみよう」と返すと「生きてみます」という返事も来る。
体の力が失われることに恐れを抱く難病の人に「社会でできることが減ったとしても、感受できる世界は減らない」と伝えた時は「感じる時間を増やそうと思う」と返ってきた。
学生に本を薦めると「面白いですか?」と聞かれます。自分で読まないとわからない。生きる意味も、生きてみないとわからない。体が動かなくても、生きることをあきらめる必要はない。
みんな、この世を感受し存在たらしめる仲間です。
あなたには、きょう、話しかける木はありますか?(聞き手・森本美紀)
*************************
今ここにいるだけでいい。
直接言葉を交わさなくても仲間はいる。
何かが、誰かが、あなたを感じてくれている、大切に思ってくれてる。
自分にプレッシャーをかけたり、頑張ることも時には必要ですが、
無駄に焦ったり、疲れたなと思った時は、空を見上げ、花を見たり、風や太陽を感じたり。。。
そんな時間の方が実は大切で、充実しているのかも。
茶道って、それの究極かもしれないとも思います。
和室という静かな空間で、無になって、床の軸や花を味わい、香の香りをきき、釜の音に耳を澄ます。
美味しいお菓子を頂き、抹茶で喉を潤す。
亭主との間に言葉はなくても、何かを感じられる。心も体も満たされる。
勿論、最初は点前を覚えるのに必死で、感じるどころではないんだけれど。
子供が二年生の頃、最近の小学生は忙しすぎて空想する時間がないので、そういう時間を作ってあげて下さいと先生がおっしゃっていました。
何をするでもなくぼーっとする時間、余白の時間って、年齢にかかわらず人間がらしくあるために大事なんでしょうね。
焦ったり、自分が情けないと感じたら、余白の時間、感じる時間を。
美しい白梅。
木蓮の花芽。
椿も空高く咲く。
今日も自然はあるがまま。