お酒を飲む時に良く行く木屋町界隈、そこに高瀬川は流れています。
伏見に住んでいるとき、東高瀬川という川がありました。
あ!つながってるやん!!
で、少し調べてみました。
高瀬川は、もともと自然に出来た川ではなくて、京都と伏見を結ぶ運河として慶長16年(1611)京都の豪商、角倉了以(「すみのくらりょうい」と読みます)素庵父子によって、3年の歳月をかけて作られたものです。
スタート位置は、二条から始まります。鴨川西岸を流れるみそそぎ川から水を流しいれています。
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当時は了以の別邸・・・今はおすし屋さんが庭園として使用している庭を通り、よく見る高瀬川となっています。
左隣は、串カツ屋さんです。結構良い店です。おまかせで30種類ほどの串カツが出てきます。おいしいんです、チーズの串カツとか何やかんや楽しませてくれます。。。
が、値段は、なかなか。。。です。
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そんな話はさておき、ここが一之舟入・・・つまり船着場です。大阪から淀川(宇治川)を登ってきた物資を、伏見港から京都の中心部まで運んできたんですねぇ~。
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木屋町通を蛸薬師通まで下がって(つまり南下して)くると、立誠小学校があります。
その正面玄関右に了以の記念碑があります。高瀬川開削350年記念に高瀬川保存会の方達によって建てられたものだそうです。
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この一帯は、飲食店が多く軒を連ねています。川に面してガラス張りの喫茶店とか三条通には、オープンカフェのような物もあります。
昼も夜も楽しめます。飲んだ後の〆の
ラーメン屋さん
もあります。なんてね??
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さて。。。。このままドンドン下がっていくと、五条通でがらりと雰囲気が変わります。
川は、普通の川になり、家々の間を通って流れていきます。
五条を過ぎたあたりは、好きな人には好きな・・・・・あまりはっきり言いませんが、そういう所です。
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ここから先は、本当に住宅街を流れる一般的な川になっています。
この後、十条ぐらいで、鴨川に合流します。
以前は、鴨川を挟み東側をさらに南下し、伏見へと向かっていました。
残念ながら、十条以南は、鴨川とつながっていないようで、ほとんど水は流れていませんでした。
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十条以南を東高瀬川とよんでいるようですが、伏見区竹田あたりまで来ると、川の様相はがらりと変わってきます。
ここは、琵琶湖疎水の放水路とつながっている所です。
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どんどん進みましょう。
大手筋あたりに来ると、酒蔵が見えてきます。伏見っぽくなってきましたねぇ。
酒蔵のある側の堤防は、未舗装のままになっていて、時代劇の撮影なんかもおこなわれているそうです。
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この先の大手筋方面に行くと、日本酒を量り売りしてくれるお店があったりします。酒どころ伏見ならでは、でしょうか。
そのほか、龍馬好きにはたまらない寺田屋旅館とか、龍馬通なんてのもあったり、面白い界隈です。
以前は、豪川とつながり、伏見港に流れていた高瀬川ですが、現在は、直接宇治川に流れ込んでいます。
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ここまで来ると、木屋町で見せていた川の表情とまるで違いますね。
このあたりは、僕の好きなジョギングコースです。
ここから、観月橋をとおり六地蔵まで、堤防を走ることが出来ます。
今は引っ越したので、少し遠くなってしまいましたが、
また走りにいこうかな。。という気にさせてくれるようなところです。
高瀬川は、大正9年まで水運がおこなわれていたそうです。ただ、琵琶湖疎水ができてから、物資輸送量が減っていって、それが水運を廃止した原因のようです。
しかし、今も昔も物流が経済を支えていたことは、間違いありませんね。
伏見に住んでいるとき、東高瀬川という川がありました。
あ!つながってるやん!!
で、少し調べてみました。
高瀬川は、もともと自然に出来た川ではなくて、京都と伏見を結ぶ運河として慶長16年(1611)京都の豪商、角倉了以(「すみのくらりょうい」と読みます)素庵父子によって、3年の歳月をかけて作られたものです。
スタート位置は、二条から始まります。鴨川西岸を流れるみそそぎ川から水を流しいれています。
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当時は了以の別邸・・・今はおすし屋さんが庭園として使用している庭を通り、よく見る高瀬川となっています。
左隣は、串カツ屋さんです。結構良い店です。おまかせで30種類ほどの串カツが出てきます。おいしいんです、チーズの串カツとか何やかんや楽しませてくれます。。。
が、値段は、なかなか。。。です。
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そんな話はさておき、ここが一之舟入・・・つまり船着場です。大阪から淀川(宇治川)を登ってきた物資を、伏見港から京都の中心部まで運んできたんですねぇ~。
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木屋町通を蛸薬師通まで下がって(つまり南下して)くると、立誠小学校があります。
その正面玄関右に了以の記念碑があります。高瀬川開削350年記念に高瀬川保存会の方達によって建てられたものだそうです。
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この一帯は、飲食店が多く軒を連ねています。川に面してガラス張りの喫茶店とか三条通には、オープンカフェのような物もあります。
昼も夜も楽しめます。飲んだ後の〆の
ラーメン屋さん
もあります。なんてね??
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さて。。。。このままドンドン下がっていくと、五条通でがらりと雰囲気が変わります。
川は、普通の川になり、家々の間を通って流れていきます。
五条を過ぎたあたりは、好きな人には好きな・・・・・あまりはっきり言いませんが、そういう所です。
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ここから先は、本当に住宅街を流れる一般的な川になっています。
この後、十条ぐらいで、鴨川に合流します。
以前は、鴨川を挟み東側をさらに南下し、伏見へと向かっていました。
残念ながら、十条以南は、鴨川とつながっていないようで、ほとんど水は流れていませんでした。
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十条以南を東高瀬川とよんでいるようですが、伏見区竹田あたりまで来ると、川の様相はがらりと変わってきます。
ここは、琵琶湖疎水の放水路とつながっている所です。
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どんどん進みましょう。
大手筋あたりに来ると、酒蔵が見えてきます。伏見っぽくなってきましたねぇ。
酒蔵のある側の堤防は、未舗装のままになっていて、時代劇の撮影なんかもおこなわれているそうです。
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この先の大手筋方面に行くと、日本酒を量り売りしてくれるお店があったりします。酒どころ伏見ならでは、でしょうか。
そのほか、龍馬好きにはたまらない寺田屋旅館とか、龍馬通なんてのもあったり、面白い界隈です。
以前は、豪川とつながり、伏見港に流れていた高瀬川ですが、現在は、直接宇治川に流れ込んでいます。
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ここまで来ると、木屋町で見せていた川の表情とまるで違いますね。
このあたりは、僕の好きなジョギングコースです。
ここから、観月橋をとおり六地蔵まで、堤防を走ることが出来ます。
今は引っ越したので、少し遠くなってしまいましたが、
また走りにいこうかな。。という気にさせてくれるようなところです。
高瀬川は、大正9年まで水運がおこなわれていたそうです。ただ、琵琶湖疎水ができてから、物資輸送量が減っていって、それが水運を廃止した原因のようです。
しかし、今も昔も物流が経済を支えていたことは、間違いありませんね。