嵯峨野といえば、東山界隈と並ぶ京都の西にある、観光名所です。
京は、その中でも「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」を訪ねました。
福王子の交差点から一条通に入り、広沢池を右手に実ながら西に進むと、
清涼寺に行き当たります。
信号正面が駐車場になっているので、ゆっくり入ると駐車場の係員が、
バイクは押して中に入って・・・・というのでエンジンを止め、中に入ると。。
ん?どこに止めるのん?そのまま境内になり、バイクも自転車も止まっているところがありません。
仕方なく突っ切るように進むと、トイレの横に一台の自転車が止まっていたので、
その横に同じように止めさせてもらいました。
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京都三大念仏狂言の一つ、嵯峨念仏狂言が行われる所です。
京都十三仏霊場代十二番札所で、釈迦如来立像が祭られています。
その体内から、絹製の五臓六腑が納められているのが発見され、
世界最古の内臓模型といわれているそうです。
山門を通り抜け、本堂までの境内で左側に石塔が立っています。
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嵯峨天皇とその皇后の壇林皇后の石塔が並んで立っています。
清涼寺の前身が、嵯峨天皇の嵯峨院の一部に造営された棲霞観(せいかかん)です。
そして、壇林皇后といえば、地名の「帷子の辻(かたびらのつじ)」の由来になった話があります。
段林皇后が亡くなられ、その亡骸に掛けられた帷子が舞い落ちたことから、この地名がつけられたそうです。
そして、本堂に向かって左へ進むと狂言堂がありました。
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今は閉ざされてますが、3月になると、ここで大念仏狂言が催されます。
壬生狂言と同じく無言劇で、鎌倉時代に円覚十万上人が、融通念仏を広めようと始めたものです。
これも、一度見てみたいと考えています。
その狂言堂の向側にあるのが、薬師堂です。その傍らに「生の六道」という石碑があります。
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これは、小野篁(おののたかむら)に因んだもので、頭脳明晰な篁は、昼は朝廷に仕え夜は閻魔大王に仕えていたという伝説があります。
そして、冥界に通じる道を通りあの世とこの世を行き来していたわけですが、東山にある珍皇寺の裏にある井戸が入り口で、そこが死の六道といわれ、今は廃寺になった福生寺にあった井戸が出口となり、生の六道といわれてます。
なぜこの地に生の六道の石碑があるかといえば、この薬師堂に福生寺から小野篁像が移されているのだそうです。。。。。
本堂や庭園を見ずに、その外側ばかりを見てますが、
誰も寄り付かないような所、
実際、観光の人々はその場にはあまりおりませんが、思わぬ歴史が隠されていることに驚きます。
観光名所でもある清涼寺です。
すでに
紅葉
が始まっています。
あと数週間もすれば、見事に赤くなると思います。
人も増えるやろなぁ。。。
京は、その中でも「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」を訪ねました。
福王子の交差点から一条通に入り、広沢池を右手に実ながら西に進むと、
清涼寺に行き当たります。
信号正面が駐車場になっているので、ゆっくり入ると駐車場の係員が、
バイクは押して中に入って・・・・というのでエンジンを止め、中に入ると。。
ん?どこに止めるのん?そのまま境内になり、バイクも自転車も止まっているところがありません。
仕方なく突っ切るように進むと、トイレの横に一台の自転車が止まっていたので、
その横に同じように止めさせてもらいました。
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京都三大念仏狂言の一つ、嵯峨念仏狂言が行われる所です。
京都十三仏霊場代十二番札所で、釈迦如来立像が祭られています。
その体内から、絹製の五臓六腑が納められているのが発見され、
世界最古の内臓模型といわれているそうです。
山門を通り抜け、本堂までの境内で左側に石塔が立っています。
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嵯峨天皇とその皇后の壇林皇后の石塔が並んで立っています。
清涼寺の前身が、嵯峨天皇の嵯峨院の一部に造営された棲霞観(せいかかん)です。
そして、壇林皇后といえば、地名の「帷子の辻(かたびらのつじ)」の由来になった話があります。
段林皇后が亡くなられ、その亡骸に掛けられた帷子が舞い落ちたことから、この地名がつけられたそうです。
そして、本堂に向かって左へ進むと狂言堂がありました。
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今は閉ざされてますが、3月になると、ここで大念仏狂言が催されます。
壬生狂言と同じく無言劇で、鎌倉時代に円覚十万上人が、融通念仏を広めようと始めたものです。
これも、一度見てみたいと考えています。
その狂言堂の向側にあるのが、薬師堂です。その傍らに「生の六道」という石碑があります。
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これは、小野篁(おののたかむら)に因んだもので、頭脳明晰な篁は、昼は朝廷に仕え夜は閻魔大王に仕えていたという伝説があります。
そして、冥界に通じる道を通りあの世とこの世を行き来していたわけですが、東山にある珍皇寺の裏にある井戸が入り口で、そこが死の六道といわれ、今は廃寺になった福生寺にあった井戸が出口となり、生の六道といわれてます。
なぜこの地に生の六道の石碑があるかといえば、この薬師堂に福生寺から小野篁像が移されているのだそうです。。。。。
本堂や庭園を見ずに、その外側ばかりを見てますが、
誰も寄り付かないような所、
実際、観光の人々はその場にはあまりおりませんが、思わぬ歴史が隠されていることに驚きます。
観光名所でもある清涼寺です。
すでに
紅葉
が始まっています。
あと数週間もすれば、見事に赤くなると思います。
人も増えるやろなぁ。。。