日々懺悔し、己れの神に立ち返る者は救われるとぼくは思う。
改悛は過ぎたことであって、人間にできることは懺悔のみである。じぶんを変えることはできないから
懺悔とは、じぶんの神とのみになり、人間との関係の秩序を組み立て直すことである。人間からの独立と孤独の路である。そこでなおも人間を意識していることが懺悔なのである。
すべての人間は懺悔しなければならない。
自由とは、じぶんを意識することである。そこに懺悔とともに自由はある。
ぼくは、すべての人間は懺悔すべきだと言う。懺悔をおろそかにしていない人間などいないから。それゆえ、ぼくはいかなる人間もおそれない。
ねえ、わたしはあなたの神さまじゃなかったの?
もちろんそうだよ、愛の神さまだ。ぼくがここで言う神は、ぼくを懺悔させる、愛なき神、聖金曜日の神なのだ。人間の意識には、契機として、そういう神も必要なんだ。単なる主体性が面する神がね。この、見捨てられる受難を経験して、そこで強いられる懺悔から、愛の神が再び顕現する。それがきみとの愛なんだ。