高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

「神の御心」

2023-01-15 22:58:20 | 日記

「神の御心」

2023年01月15日(日) 22時45分22秒

 
ほんとうは普遍的にこう言うべきなのである、じぶんの思う通りにゆかないと、人やじぶんに不平をもらす者は、「神の御心」を思わない者なのである、と。そして狭いじぶんの思いを神の思いと勘違いして迷信しているのである。 広い思いをもつ程、神の御心はもっと近くに感ぜられる。
 
 
 
神はいかなる者の所有物でもなく、それぞれの思いを実現してくださる。  
 
 








相手にすべきではない人間二種

2023-01-15 17:14:38 | 日記


 
もし、相手の或る発言にたいして殆ど条件反射的に言い返す者がいたら、その者は取るにたらない無内容な者である。すこしでも内容のある者は、そのように即座の反応は返さず、その場では反省しているものだ。
 
 
相手の発言から、相手の気づいていないことを気づいたと思い込み、それを沈黙のうちに思うだけならまだしも、その場で相手に、相手が意識していない心の深い奥がある、と得々と言葉にして言う者があれば、その者も取るにたらない浅薄な、無反省に等しい者であり、相手にすべきものではない。何のために話しているのか。
 
 
 
大事な仕事を中断してこういうことを書くのは、勿論、どれほど年月が経っても、ぼくがそれほど正面から怒っているからである。これまで言わないできたとしても、これまで我慢してきたからこそ、今ついに噴火したからである。
 
 
 
もっと下等な人種のことは、ぼくはここで言わない。この種のものは駆除することのみが問題であるから。
 
 
 




相手の人格を尊重せよはほんとうか

2023-01-15 13:05:46 | 日記

相手の人格を尊重せよはほんとうか

2023年01月15日(日) 12時47分41秒

 
尊重の前に愛がなければ、人格の尊重は嘘であるか自己否定である。このいみで、ぼくは、他者一般にたいする人格尊重を認めない。一般的他者など、ぼくには、あまりにも多くの場合、やっつけてやろう、とおもう対象でしかない。尊重などしていたらこちらが否定される。そうされないためには、全力で相手を否定するしかない。人格もろとも否定するのだ。抽象的理想論でなく具体的状況論では、ぼくの、他者人格否定が、どれだけ説得力があり、圧倒的事実であるか、論じるまでもないだろう。
 
 
ぼくは上のことを、ひとを選んで言うべきであることを知っている。社会的には、つまり大衆に向っては、人格尊重を言っておくべきである。
 
 
 

人格尊重に基づいた友人関係など、とくに日本では絵空事である。ここから、日本における「友人」とは何であるか、定義は読者にまかせよう。とくに感心しないのは都会であり、地方ではそれなりに地に足のついた人格尊重感情に基づいた友人関係をぼくは経験している。
 
 



 


身内へ言う言葉

2023-01-15 02:17:50 | 日記

身内へ言う言葉

2023年01月15日(日) 01時31分46秒

 
ぼくと会う縁をもちたければ十回位人生を繰り返しておいで。
 
 
ぼくも、身内相手に矜持を忘れない。
 
 
高い精神の者にとって、身内は最も危ない可能的容喙者・無礼者なのだ。距離をとること、疎遠であることは、かれらに罪を犯させないためでもあるのだ。自然な運命こそ、当事者よりもそのことをよく心得ている。
 
 
 
 
封建制・王制は、人間の最も原初的で一般的な感情と想像力を納得させて統治するための方便であり、統治者自身はそのことをよく心得ているはずである。それゆえ、身内の関係こそ厳格な礼儀によって支配されねばならない道理もまた、よく心得ていなければならない。