高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

なぜ戦争が止まないか

2023-01-23 23:53:35 | 日記

なぜ戦争が止まないか



 
広義での戦争をなぜ人間は止めないか、それがぼくにもようやく気づかれてきた。それは、人間には馬鹿がどうしてもいて、我慢したり放任したりしていると、馬鹿の原理が認められたと勘違いして、勝手放題するからである。だから限界まで来るとどうしても鉄拳が振るわれなければならない。 馬鹿は相手にしたくないが、それではおさまらない、ということである。
 
 
日常にも うんざりするほど馬鹿がいるのは、第一の人生の教えるとおり。 
 








第一の人生と第二の人生

2023-01-23 23:08:20 | 日記

第一の人生と第二の人生

2023年01月23日(月) 22時57分05秒

 
ぼくは天の悪意によって、不本意ながら第二の人生に入ったが、これがなければ第一の人生の経験を反省して認識を結晶させることはなかったろう。そしてこの認識は、ぼくが第一の人生で感じていたことの結晶にほかならず、ぼくの感情の真理性をぼくに明らかにしたのにほかならないことを感じている。
 
第二の人生は、ぼくはもっと自分の感情に従ってよかったことを明かしているのだ。
 
 
 
 




苦難のなかを必死で生きているときにこそ辱めるのが人というものだ

2023-01-23 16:07:17 | 日記

苦難のなかを必死で生きているときにこそ辱めるのが人というものだ

2023年01月22日(日) 19時39分00秒

 
調子よくやっているときは立派だと誉め、苦難のなかを必死で生きているときは何やってるんだと辱めるのが、人というものだ。そのとき桂冠を与えてくれるのはじぶんしかない。そう言っても、じぶんの思い込みでそう思っていてはいけないと、親ですら言う。そういうのが人生だと、よく心得ていなければならない。
 
 
 
 
 
 
 
 

詩と芸術 高田思想とノヴァーリスの「青い花」

2023-01-23 03:14:05 | 高田博厚の芸術哲学

詩と芸術 高田思想とノヴァーリスの「青い花」

2023年01月23日(月) 03時03分03秒

 
芸術には詩心がなければならず、詩は芸術から限界づけるものを学ばねばならない、という、高田思想を、ノヴァーリスの「青い花」にそのまま読むとは思わなかった。普遍的な思想なのだ。詩はこのようにして根源がメタフィジックなものであり、メタフィジックな技として完成する。
 
 
 
「青い花」第八章(148-152頁)
 
 
 
 
人間は根源的に詩人であるのなら、人間は自覚的(意識的)には「詩者」であるよう努めるべきだ。ぼくはこの言葉をはじめてつくった。
「哲学者」が自らかんがえ、哲学を勉強するように、「詩者」は詩を勉強する。
 
 

 
詩という言葉・理念そのものが 僕を立ち直らせた。 
 
 詩人でも詩学者でもなく 詩者となる。
 
 哲人でも哲学学者でもなく 哲学者であるように。