高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

誓いは感情に敵わない  これとはちがう忠実

2023-03-12 03:33:48 | 日記

誓いは感情に敵わない  

2023年03月12日(日) 03時31分41秒


だから、誓う者は驕る者であり、無反省で高慢だ。感情に負けて誓いと約束を破り、しかも平然としている。それどころかじぶんの弱さであるものを正当化し誇る。この「誓い」と「平然」によって、二重に高慢を自証している。「いっさい誓うな、然りと否とのみを言え」という言葉は、絶えざる懺悔によってのみ人間は生きることができる、神と関係(直面)しうる、ということを言っているのだ。
 
誓って約束する者は、じぶんの器を測っていない、というより、器のある者は誓ったり約束したりしない。
 
 
忠実とはこれとはまったくちがうものであり、反省と懺悔と、反復的再生への期待という、信仰的運動の生を生きることよりほかのことではない。
 
 
 
 





”マルセルは何故戯曲を書くのか”

2023-03-12 01:00:56 | 日記

”マルセルは何故戯曲を書くのか”

2023年03月12日(日) 00時

 
戯曲は、人間の心に寄り添う(あまりに濫用されている言葉だが)訓練と快楽であり、まさに親密性の実現ではないか。親密性とは間主体性が意味するところのものである。ただの二人称関係ではなく、超関係的な境位である。そこには神的なものがある。たとえその描くものが壊れた世界であっても、それを描く行為は間主体性の境位のみから出来るのであり、戯曲の経験そのもののなかにその境位の感得はあるのだ。
 

演劇創作でも、彫刻でも、通常の自我を超出したメタフィジックなもの(それを魂の境位と呼べば、純粋自我でもあるもの)への行為が、芸術行為であるとは言えないだろうか。