高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

黒澤明 続姿三四郎

2023-05-22 02:14:22 | 日記

黒澤明 続姿三四郎


 
(1945年作)を数時間前に久しぶりに再び観た。そして、ああなるほどと、その価値に気づいたところである。これは書かねばならない。前作姿三四郎の際もそうであったが、主人公は、争いの瞬間に争いを超越しているのである。これは観念的な構えを黒澤が構成しているのではないという証が この作品にはある。なぜなら、この作品を観て(黒澤の作品だけではないが)なによりも感銘をおぼえるのは、あの大変な時代の頂点の時期に、よくこのような人間性の情調のある世界をつくれたものだという、そのことだからである。この作品も、根本において争いを超越している、あるいは争いの波濤の水面の底に潜った、日常の変わらなさを証しているのだ。黒澤は、この作品をつくることで、意識して、戦争に抵抗しているのである。人間を護るために。戦いの最中に、戦いを超越した彼方を見遣る表情を、姿に数度させている。あれだけの白人を作品に動員できたのも、根本において争いを超えたものをつくりたいという黒澤の気持が通じたからだろう。「きっと勝ちます」という台詞を女優に言わせているのも、表面的な戦勝祈念の表現ではなく、人間は争いそのものに勝って人間の証を立てなければならないことを言っているのだ。そして争いは人間に負ける。このことを全演出で黒澤は観る者に読み解かせているのだ。あの時期にこれをやった黒澤のみならず、これを理解し、この作品と公開に参与したすべての者たちは、偉大である。人間の偉大さとは、時流に抵抗して創造する行為なのである。われわれの高田博厚も、同時期に、地球の裏側で、それを、人間の証を行ない、記録したのである。
 
 
 
 
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿