高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

マルセル「稜線の路」53

2022-10-19 14:27:45 | 翻訳
184頁

第九場

アリアーヌ、ヴィオレット

(アリアーヌ) 私、当惑してるのよ、ね。

(ヴィオレット、気詰まりして。) あなたのお兄さまが、子供の息子さんにレッスンをしてほしいと、わたしに頼みに来ていらっしゃったの。

(アリアーヌ) 何てすごい考え!… とにかくとても良いことよ。お嬢ちゃんのほうはどんな感じ? 

(ヴィオレット) 目に見えて改善しているの。気管支炎がとても軽くなりました。

(アリアーヌ) 良かったこと! かなり心配していたのよ、そのことで。

(ヴィオレット) どうも… 

(アリアーヌ、ヴィオレットをじろじろ眺めて。) 兄の訪問はあなたには愉快ではなかったわね。

(ヴィオレット) 何を仰りたいのですか? 全然分かりません。

(アリアーヌ) もしかして、あなた、兄が好奇心から来たとお感じになった?


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(ヴィオレット) そんなふうに思うなんて、わたし、考えもしませんわ。

(アリアーヌ) 彼がそうしないとは、私、確信できないの… たとえ、彼が分かっていても… 彼が当てこすりを敢えて全然しなかったと、私が思う? それは、らしくないわ…

(ヴィオレット) わたし、正直に申しますと、そんなによくは分からないのですが… それでも、彼にはほかの理由があったことは、判ったつもりです… おねがいです、これ以上お聞きにならないでください。わたし、たとえその気があっても、彼の言ったことを正確にあなたに繰り返すことは出来そうにありません。それはとても微妙な話だったので、とても…

(アリアーヌ、優しげに。) それでも、あなたは、彼の話が私に対して向けられたものだったと、解ったでしょう?… 確かだと思うわ、ヴィオレット。いいこと、彼は私たちの間に、とても嫌な状況を自らつくったのよ。こういう状況では、私は、物事をはっきり見通す態勢にはなかなかなれません。あなたは、兄が離婚していることを、もちろんご存じです。クラリスは私の幼なじみのひとりでした。兄と彼女が別れることは、私にとってひじょうに激しい苦痛となり、最後の瞬間まで私は、この離別の決定が考え直されるよう、万策を講じました。このことで、兄は私を赦していません。私は知っていますが、彼の妻には、『過誤』と呼ばれるものがあったのです。しかも、彼女はそのいっさいを自分の夫に、ほかの多くの人々なら出来ないような率直さで打ち明けたのです。じっさいには、兄は(つづく)


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(つづき)この件において責任が無いどころではないのです。兄なのです、ジルベール・ドゥプレーヌを誘ったのは。兄が、彼を、自分たち夫婦の親密な関係の場に入らせたのです。私は確信をもって言えますが、初めのうちは、兄は、この知的で優雅で世慣れした青年が私の義姉とおしゃべりしたがるのに気づいて、嬉しそうでした。兄は、そこにひとつの誘惑さえ覚えていましたが、この青年に関しては、兄も、そのことに殆ど無感覚になってしまっていたのです。

(ヴィオレット) はっきり申しまして、お話をお聞きするのは、とても気詰りですわ。わたしに関係あることでは全然ありませんし…

(アリアーヌ) それはちがいますよ、ヴィオレット。今日ほど、私に、物語という物語をすべて繫ぐ鎖がはっきりと見えることはありません。その物語の中では、私たちは観客であると同時に演技者なのです。物語どうしは互いに照らし合います。これこそ小説家たちが良く理解したことであり、こうして彼らのみが、人生の真の意味を、光で照らすように私たちに明らかにするのです。私の兄は私のことを不自然だと判じています。なぜなら、私は、彼とは反対に、二人の罪人の味方をしているから、と彼は言うのです。強い精神の持ち主たち — 兄は自分がそのひとりであると誇っていますが — 、彼らが、しばしば、罪過とか、判決とか、刑の宣告とかの言葉を出すのは、何ととんでもないことでしょう。彼があなたに、私のことで、何かはっきりとしない警告をしに来たのは、一種の、ばかばかしい攻撃的な対立の態度によるものです… 憐れなフィリップ! (つづく)
















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