MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

羽田に向かう旅客機

2023年02月01日 | あらかると


加齢とともに「断捨離」などが多くなり、さらに最近では「終活」もということで、様々な纏めを行っており、このブログも全編保管するとともに、二か月以上かかりましたが掲載写真の年月日別一覧表なども完成させました。
まだまだ句歌や随筆集、短編小説などデジタル化する必要のあるものは数多く(50年分以上)、完成の見込みはありません。

今回の投稿は、南風があると着陸が都心上空から行われる羽田行きの旅客機で、ベランダから観察し撮ったものです。

下の写真は夕日を受けて千葉方面から都心方面に向かうJAL機。


同じくスカイマーク機。


さらに、右が羽田に向かう機で、左の小さな機が羽田から飛び立ち関西方向に向かっている機です。


夕焼空の中を富士をバックに羽田に向かっています。位置的には新宿上空付近です。


スカイツリーを挟んで二機の機体が見られるのは珍しく、着陸する滑走路が別々のように思われます。


太陽が富士の裾野に沈んでゆきました。この3日後に一年に二日しかない富士山頂への日没である「ダイヤモンド富士」となるのですが、雪雲などで見られませんでした。


日没後に羽田に向かう旅客機。


さらに日が沈み富士山の影が右上空に生まれていました。


機内照明をつけて羽田に向かうANA機。着陸コースが変更になった昨年以来100枚以上撮っていますが、機体の窓明りが写ったのは初めてでした。


巻頭の写真は日没前の光景で、旅客機はすでに着陸態勢に入っており前後の車輪が出ています。
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恭賀新嬉

2022年01月01日 | あらかると


明けましておめでとうございます。

当地の元旦の一日を撮りました。
初日の出前の東の空です。写真中央の電波塔の上には成田空港への一番機と思われる旅客機が飛んでました。


日の出前の西側の景色で「東京スカイツリー」や「冠雪富士」がくっきりと見えました。


残念ながら建築物の間からの「初日の出」でしたが、写真右側には鷹と思われる2羽が写ってました。


初日の出直後の「初富士」です。初夢の「一富士二鷹三茄子」の「富士」「鷹」の出会いです。


元旦の日没直後の「残照」


「東京スカイツリー(写真右側)」と「東京タワー(写真左側)」の都心の夜景です。


「東京スカイツリー」の特別ライトアップで、白色と赤のライトにより日本国旗を表現していました。


「日の丸部分」を1200mmで撮影したものです。


「恭賀新嬉」


巻頭写真上部のスカイツリーの展望台の上には、レーザーマッピングで「Happy New Year!」の新年のメッセージが投影され回っていました。
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初冬の大津川逍遥

2021年12月09日 | あらかると


コロナ禍などでステイホームが続き彼方此方と散歩することが少なくなり、結果的にこのブログも久しぶりの更新になります。

柏市の東側を流れる大津川は、沼南町が柏市に併合される前までは釣り人や散歩する人を多く見かけましたが、今回は皆無でした。

下の写真は大津川に向かう途中にある、柏市逆井の「観音寺」ですが、参拝したことは有りません。「ぼたんのお寺」とありますのでその時期に成ったら参拝したいと思います。


大津川の周囲は田圃が殆どで、刈取りは終わって広々とした光景が広がっていました。


が・・・大津川の橋の上に立つと愕然とするほどの荒れようでした。市による手入れがされてないのでしょう。沼南町時代は奇麗に除草されていたのに残念。


川土手も雑草に覆われ、以前のように散歩をしたり自転車で走行することは不可能になっていました。奥の高圧線塔に至るまできれいに走れたのに・・・。

荒れ放題の岸辺や川土手に比べ、水の流れは前と変わらず澄んでおり彼方此方で鯉の泳ぐ姿が見られました。


田圃の畦道を辿って川土手に行くと、野草が咲き蝶も見られました。下の花は「夕化粧(ユウゲショウ)」


下の花は「マルバルコウソウ」。


小さな花ですが、花弁が一枚ごとに三裂し美しかったのですが、調べてみると名前が「ハキダメギク」・・・。発見した場所が「掃きだめ」だったことから名づけられたという。


下はシジミチョウの仲間で、野の花があれば殆ど見られる「紅小灰蝶(ベニシジミ)」
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朝焼けと朝虹の出現

2021年08月19日 | あらかると


今日は日の出前の朝焼けと、日の出狐狸の朝焼けと朝虹が見られた。

下の写真は朝焼けの始まった午前4時23分撮影の東の空。
北には故郷の筑波山が雲はかかっていたもののくっきりと見え、
茜に染まった雲が上空を漂っていた(巻頭の写真4時35分撮影)。


下の写真はベランダから見た東京方面で、積乱雲がやや茜色歩帯びていた(4時36分撮影)


上の写真を撮ってから約20分後が下の写真で、
日の出時刻が近いためか積乱雲の上方が茜色に染まってきた(4時53分撮影)


東の空の雲も茜色に輝き、椋鳥が南へと飛んで行った(下の写真 4時55分撮影)


茜色に染まった積乱雲の一部が七色に変化していた(下の写真中央やや右寄り)虹のようである。日の出前の為かはっきりとしたものではなかったが…(4時57分撮影)


生まれ始めた虹は少しずつその姿を拡大していった(下の写真4時58分撮影)


今日の日の出時刻は(東京)午前5時03分で、下の写真がその時刻の東の空(5時03分撮影)


日の出とともに「朝虹」はその姿を拡大していったが、当地では下の写真以上に拡大することはなかったのである。NHKラジオでもこの朝虹は話題になっており、関東のあちこちで観察されたようである。(下の写真は5時23分撮影)


都心のビル街も朝日に輝き、スカイツリーもよく見えていた。空気の澄んだ一日の始まりである。(5時25分撮影)


久し振りの投稿になってしまったが、最近は友人紹介の「SGギャラリー」に「MAICO」名にて写真を写真をほぼ毎日投稿しています。
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営業終了も時代の流れか?

2021年07月11日 | あらかると


ホテルグランドパレスが2021年6月30日で営業を終了した。
日本プロ野球のドラフト会議の会場として1976年から1988年までの13回と、
1996年度の計14回に亘り会場として使用されたので、
中高年の野球ファンならずとも馴染みのホテルであろう。

私が長年勤めた会社の入社面接もここで行われ、入社式を兼ねた食事会もここで行われた。
当時は手狭だった市ヶ谷本社も四谷の一等地の7階建ての自社ビルとなり、
営業、総務、EDP、社員教育、子会社の上場などの仕事にあたった。

ということで、そんな昔を(1970年~)を振り返ってみた。

「ホテルバシフィック東京建設現場」

学生時代のアルバイト先が青写真制作(設計図のコピーなど)の会社で、
当時の高層ビル建築ラッシュに伴い、
ホテルパシフィック東京(京浜急行電鉄所有・2010年営業終了)の建築現場のコピーセンターに務めた。
設計室やコピーセンターは上の写真に見られる樹木下付近にプレハブが建てられていた。

当時の設計技師や、工事技師達との写真。


下の写真左端の人が鹿島建設の設計師だったように思う。
 

コピーセンター前で、友人のハッセルブラッドを構える私。


ホテルパシフィックの竣工式を見ることなく、西新宿のKDD本社ビル建築現場や、


同じ西新宿の「新宿住友ビル」の建築現場の下請けとしてのコピーセンターにも勤務した。


想い出溢れる建物であるが、
落成式前には渋谷前に有った上場会社の「印刷室」を下請けの仕事を1年ほど行ない、
その後グランドパレスでの面接を受けたのである。
下の写真は当時の渋谷の街で、正面が「東急東横百貨店(当時)」、
右端に数台の車両が止まっている場所付近に、現在ではモヤイ像が設置されている。
左上の線路は東横百貨店を貫く銀座線。(1972年5月2日撮影)。


下の写真は当時の銀座線の車両倉庫と思われる(1972年5月2日撮影)。


コロナ禍が収まったらそんな思い出の地を訪ね、今の風景を収めてみようと思う。
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