大晦日である。年越しそばに元旦はけんちん汁の角餅の雑煮の朝食である。幼かった頃は正月三が日の朝食は雑煮と決まっていた。そして御節である。御節もほとんどは自家製だから、子供たちはよく手伝わされた。だから昆布巻きや金団や羊羹は今でも作れる。
雑煮といえ御節といえ正月三が日ぐらいは主婦たちも台所に立たずに楽をさせる慣わしから保存の利くおせち料理が生まれたといわれている。
社会人になって田舎を出ると大晦日から正月にかけての過ごし方も、時代によって変わってきた。
学生時代から10年くらいは、友と明治神宮に行っていた。冷え切った夜の参道をひたすら歩いて、本殿前で新年を迎えたという太鼓の合図を聞くことが正月の迎え方だった。
サラリーマン絶頂期の10年ぐらいは毎年外国に出かけていた。韓国や台湾が多かったがその理由は生中継の「紅白歌合戦」が見られることだった。台湾も韓国も大手のホテルはBSアンテナが付いており受信できていたのである。つまり、日本は韓国や台湾をTV電波で侵略していたのである。
韓国の正月は旧暦で実施されるので年末の行事といえば除夜の鐘ぐらいであまり華々しさはない。だから正月なのに大手ホテルでもクリスマスの飾り付けがされたままであることが多い。
まもなく「紅白歌合戦」が始まる。最近は国内で見ることが多くなり、それとともに年越しそばと元旦の雑煮が欠かせなくなってきた。
そばは出汁から作り鴨南蛮に仕立てるのが好きだが、本物の鴨が手に入らなくなってきている。なので、今夜は豚南蛮。
写真は2007年を最後を飾るサンセット
雑煮といえ御節といえ正月三が日ぐらいは主婦たちも台所に立たずに楽をさせる慣わしから保存の利くおせち料理が生まれたといわれている。
社会人になって田舎を出ると大晦日から正月にかけての過ごし方も、時代によって変わってきた。
学生時代から10年くらいは、友と明治神宮に行っていた。冷え切った夜の参道をひたすら歩いて、本殿前で新年を迎えたという太鼓の合図を聞くことが正月の迎え方だった。
サラリーマン絶頂期の10年ぐらいは毎年外国に出かけていた。韓国や台湾が多かったがその理由は生中継の「紅白歌合戦」が見られることだった。台湾も韓国も大手のホテルはBSアンテナが付いており受信できていたのである。つまり、日本は韓国や台湾をTV電波で侵略していたのである。
韓国の正月は旧暦で実施されるので年末の行事といえば除夜の鐘ぐらいであまり華々しさはない。だから正月なのに大手ホテルでもクリスマスの飾り付けがされたままであることが多い。
まもなく「紅白歌合戦」が始まる。最近は国内で見ることが多くなり、それとともに年越しそばと元旦の雑煮が欠かせなくなってきた。
そばは出汁から作り鴨南蛮に仕立てるのが好きだが、本物の鴨が手に入らなくなってきている。なので、今夜は豚南蛮。
写真は2007年を最後を飾るサンセット