MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

手賀沼をポタリング

2010年05月31日 | あらかると
風のない晴天に恵まれ気温も低く湿度も低いという絶好の日和となった今日、久しぶりに手賀沼に出かけた。家を出たのが9時前後という私にしては速い出発だったので、予定にはなかった手賀沼半周コースを回ってきた。

巻頭の写真を撮った真上が丁度手賀大橋で、橋の右手には「道の駅しようなん」がある。その道の駅で昼食用の弁当を買って、手賀沼半周のポタリングに出た。(この時点で自宅から道の駅まで約11Kmを走行済)
道の駅から曙橋を渡り、「鳥の博物館」前を通り手賀大橋を渡る手賀沼半周約10Km弱のコースである。

手賀沼の南岸は4、5年前に整備され、柏ふるさと公園から曙橋間は下記の写真のように、自転車道と歩行者用とがセンターラインでセパレーツされている完全舗装道路である。平坦なので女性のポタリストも多いのが特徴でもある。
センターで分離されているとはいえ、自伝車道が沼よりに出来ているので、実質的には関係なく歩いている人が多い。中にはスピードを出して走っているサイクリストもいるので注意が必要。

また、対岸のJR我孫子駅近くには、土日祝日限定で貸し自転車があるので、都心から来ても気軽に楽しめるのがいい。


自然豊かな沼なので様々な野鳥も目にすることが出来る。近くでヨシキリがしきりにないていた。「いつ啼き止むのかな」と5分ほど聞いていたが、啼き止む事はなかった。啼き方も一定ではなく、繁殖期のエネルギーの強さを感じた。


近くでは、釣り人が魚を釣り上げていた。魚種をたずねると「わたか」ということだった。次回来るときは早朝に家を出、必ず釣竿も持参しようと思う私でした。釣は釣れるから面白いので、釣れない釣りはしないほうがいいのです。


対岸の我孫子側に出た。こちら側には船の桟橋があちこちに作られていて生活感があった。風もなく、湖面は凪の状態に近く、青空と雲を写していた。


こちらの道は狭く、サイクリングには適さないのか「ママチャリ」のポタリストが多かった。菖蒲田や鳥の博物館などがあり、ポタリングというよりは散歩向きなのかもしれない。


以上、極度の運動不足に陥っている者のポタリングでした。「筋肉痛は5日後にやってくる」ということが実感できる年にもなりました。嗚呼。
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観天望気

2010年05月30日 | あらかると

約4ヶ月に渡った団地の外装修理が6月の第一週末で終了し、ベランダを覆っていた足場や視界を覆っていた保護シートが取り外される。

ベランダに洗濯物や布団が干せなかったりしてややストレスを感じたが、ベランダからの風景が見られなくて「観天望気」や撮影が楽しめなかったことが更に大きなストレスとなった。
ベランダからの風景が見られないと「観天望気」が出来ず、外出の予定も立たないほどだった。天気予報を見なくても遠出ができるかどうかは、空模様で判断できるのだが、その空模様が見えなくては「外出」という行動も取りにくい。

次の日曜日にはその光景が戻ってくる。平凡だが、巻頭のような夕焼けや下の写真のような朝焼けを楽しむことが出来るということは、日常生活を潤いのあるものにしているのである。
なんでもないことの大切さは失ってみないと判らないのである。
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薔薇を撮るNo2

2010年05月29日 | 写真
先日「谷津バラ園」で撮った写真が整理できたので、紹介します。バラは2万種類を超える種類があるため、同じようなものがありなかなか判別できません。基本的にはバラの下部の前に立っている名札を撮影してきて整理しています。
しかしその名札も時々間違って居たりします。このバラ園でも発見。「ウィディングベル」の名札には????でしたが方言が入ったのでしょう「ウェディングベル」が正解てした。

巻頭の薔薇の名前は「ピンクラスター」、名前のようにピンク色の美しいバラです。

「アンジェラ」
ツルバラ系のピンク色のバラでしたが、花弁がやや薄めの中輪で花を多めにつけていました。今回の撮影では一番印象に残ったバラ。実際の色はもう少し薄めでした。



「アンブリッジ」
私の好きな英国オールド系のカップ咲。このバラ園ではこのカップ咲の種類も多かったように思います。萎れてしまったものもあって全部写真収集できなかったのがやや残念。


「セントセシリア」


「浪漫」
詳細は調査していないので不明ですが、ネーミング的には日本で作出(開発)されたバラかも知れません。


逆光の中で輝いていたので撮った一枚。花の名前は不明です。


新種などやわたしの未蒐集のバラについては、秋にも収集してホームページなどで発表予定です。
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都わすれ

2010年05月28日 | 写真俳句
「都忘れ」の名前の由来は、佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの説話によるものとされている。

私にとっての都は職場のあった東京になる。様々な思い出と数百人にも上る人々との出会いがあった。最盛期には400枚近くの賀状を書き、そして戴いた。

しかし、職を辞することにより思い出の都とは徐々に疎遠になり、身辺環境も一変した。
在職中はどんな地位にあっても、会社を辞してしまえばただの人であるが、ただの人になれるということは「組織の一員」という垣根が取り払われる訳で、野放図もできるということである。
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風鈴草(カンパニュラ)

2010年05月27日 | あらかると
日の出が早くなり、日の入りも遅くなって昼間の時間が長くなってきた。基本的に夜間は外出しないし遊ばない私にとっては遊べる時間が長くなってきた。
ウォーキングとカメラを担いでの散歩も今日ぐらいの気温が丁度良く、午後から「21世紀の森と広場」を往復した。

住まいの周辺は通常なら名前の付かないような通りに名前が付いていて、その一つの「花みずき通り」を北上した。その通りの終点近くで見つけたのが三色の「風鈴草」だった。

この通りは、花みずきの植込まれた周りに小さな花壇が作られていて、季節ごとに様々な草花が植えられているので時々利用している。
この風鈴草は鉢植えで、背丈も他の草花に比べれば相当大きかったので、近所の方が育てて道路に展示したのであろう。うれしい花自慢である。(巻頭の写真と下の写真)


その近くでは「ムギワラナデシコ」が咲いていた。先日訪問した「清水公園」にもムギワラナデシコの畑があり数輪咲いていたが、今頃満開を迎えているのかもしれない。畑の規模なのでさぞかし壮観なことだろう。


「21世紀の森と広場」では「柿の花」が咲いていた。大きな葉の下で隠れるように咲いている地味な花で、しかも花期も短いことから気付く人は少ない。


公園に着いたのが15時ごろで、空がにわかに曇り始め雨粒が落ちてきた。積乱雲が綺麗だったので撮影。
雲の合間に胡麻粒のように鳥が写っていた。拡大してみると(下の写真左上端)カラスの形ではなく鷹の飛翔の形をしている。この森に住むといわれている「オオタカ」であろうと思われる。


雨粒が数滴当たった程度で済んだが、雨からカメラを防御するものがなく「雨に降られまい」と、一目散のスピードで歩いたのでいい運動になったのだが、程なくして「あれだけの雲はどこに行ったのか」というほどの青空になった。
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