雲・・・

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・・・思うままに

KAYOのブログ


秋田を愛し、竿燈祭りを愛し、サッカーが好きで、男鹿の海が好き。
そしてお酒をこよなく愛するkayoのブログでっす^^

じさまの命日

2010年12月19日 21時51分42秒 | 『居酒屋 加代』 時代
今日はジサマの命日でした。
亡くなって
10年くらいになるかな。

kayoは長男ではあるものの…
うちの父も長男。

父は今は行方分からず…
自由奔放でいつもどこにいるのか分からないから。

仏壇は一つ飛び越えてkayoにある。

最近は
『トイレの神様/植村花菜 』の曲なんかのように

おじいちゃんおばあちゃんの大切さが歌われてヒットになったりしてますが…

kayoもジサマとは付き合い長かったからさ
その歌を聞くとよく思い出します。

ただ…
そんないいジサマではなかったけど

ん?
いいジサマでもあったか…

おいらはジサマは自分にとっての育ての親でもあったけど
綺麗なことばかりではありませんでした。

小4の時に父の再婚相手と合わずに登町に戻ってきたkayo

待っていた家族はジサマと紀子おばちゃんでした。
(紀子おばちゃんも出戻り)

毎日毎日…
お客と喧嘩の紀子おばちゃん

ジサマは川反で酔っぱらって帰ってくる。

そのたびに夜中、起こされ…

夜になると豹変するジサマでした。
真夜中…2時か3時に起こされる。
とにかく荒れていた時期はひどいもんでした。

そばにいなきゃ怒る。ラーメン作らなきゃ怒る。
話しに相槌をいれなきゃ怒る。寝ると怒る。

じさまは自分が寝るまでおいらをそばに置いて…
逃げようとすると怒る。

身の危険を感じて外に逃げて公衆電話から親戚のうちに電話かけたのもしょっちゅうでした。

もう酒乱の頂点の時はkayoを前に座らせ
「お前はすてられたんだ!」などと言われ…

夜中…真正面でそれを聞いてなぜか涙が出るの止められない自分。

トイレに行くのも手伝わされるほどべろんべろんに酔っぱらって。

でもね
『どうせ酒飲んだ時のことなんか分からないんだ』と…
そう思っていたんだと思う。

だから次の日はいたって普通でした。

酔っぱらった時に嫌なことされたり…
嫌なこと言ってたりした本心はいまだ分からないけど。

そんなジサマではあった。

でもね
大変なのは夜の酒飲んだ時であって。
日中は市場に連れて行ってもらったり

春と秋は山でわらび採り、キノコ採り

弁当を作ってもらったりしたこともあった。

普段はそんなに怒られることもなく可愛がられてたと思う。

だからじっさいには恨んだこともなく大好きだったと思う。

酒乱になった時は必死に水飲ませたものでした。
水飲ませると酔い覚めるって教えられていた…

早くいつものジサマに(紀子おばちゃんに)戻ってほしかったんだと思う。

これは『居酒屋 加代』時代の嫌な部分ですけど。

そんなジサマではあったのですが
晩年は『居酒屋 加代』も廃業し一人になってました。

紀子おばちゃんも再婚し別に住み
kayoも一人暮らしをし始めと…

それでもみんなちょくちょく立ち寄っては酒を飲み笑いあって
紀子おばちゃんはすぐ近くに住んでて老人になったジサマをよく見てた。

さいごは脳こうそくで倒れ…

病院で復活したものの

何年か後に…
(9年前に他界)

その時に思い出すのは…
病院に行った時親戚のみんな
『○○!(kayoのこと) おめ来ねば死にきれねくてジサマ待ってら!』
と言われたこと。

その後すぐに息を引き取る時…
『じいさん!』って呼んだ時

心音の機械が大きく反応して静かに引き取ったこと

いろいろあったけど
最後をみとることできたこと
kayoにとってすごく大きな出来事でした。

いまは・・
いろんな経験させてくれたジサマに感謝でいっぱいです。

『といれのかみさま』にも病室でおばあちゃんがいた内容の歌詞があるけど…
なんかダブります。

今日はそんなジサマの命日だったのでした。

後最後に言いたいことが…

トラウマになってるのでしょう。
酒乱の人は今では絶対に許しません!!







コメント
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