makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

有形無形はなくなる

2021-08-29 | 日記

♪♪・・・岐阜県は津谷川の曼珠沙華

緊急事態宣言発令によって、今年は無理かな。密にならない、途中コンビニみも寄らないという設定なら、何年ぶりになるのかな、行きたいわ。出来るなら雨上がりか小雨程度がいいんだけど。

さて、先日、翅を炒めたアゲハお蝶様のことを書いたけど。・・・そう言えば、ということで去年もそんな写真を撮ったな、ということで記録を辿ると。2020年7月3日に、同じ万助溜で撮っていた。

で、先日の子はこんな感じで同じ右側が傷んでいる。

もしや同じ個体^^?  そんな訳はないはね。位置が違う。それにしても、アゲハお蝶さんは右側の翅を炒めるのが定番なのかな、偶然なのかな。なんて私にとっては興味深いこと。だけど、興味のない人にはどうでもいいことな訳で。^^;

さて、先日の朝餉。冷凍してあったコーンとグリーンピースの炊き込みごはん(隠し味には椎茸とその戻し汁)をレンジUPしていただく、というのが、今回のミソ。こういうの作っておくと便利。

で、昨夜はキンパを作って冷凍。卵とキューリは冷凍に向かない、というので小松菜だけを使って、後はブルコギを巻いただけのもの。いや、美味しいです。早速冷凍保存したことだった。

これ、カメラ散策に持ちだしてゆくのもいいかも知れない。解凍出来た頃に食べるのが良いかなと。

この頃、スマホのカメラ機能が劣化。そう、劣化。私のピンが下手なのでないので念の為^^;

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さて、ここからが本題でして^^;

「形あるものはいずれなくなる」って言う言葉。それは、「有形無形」にもあてはまる。覚悟はしていたものの、先日、それに関連したことがあって。その折に、「形あるものはいずれなくなるから」という団子のお母ちゃんの言葉で救われた。生きてきた年代や経験は違うにしても、そして、一聴して「冷たい言い方」である言葉かも知れないが、その真意はお互いに暗黙の了解。むしろ救われた・・^^v

写真に収めた。鰻の寝床のような細い庭は、かつてY子お母さん(養母)や私が色々咲かせていたお花畑。あれは夢幻だったのかも知れない。観たこともない何かの木が大木に成長していた。

そして、多分、私用に残しておいてくれたのであろうアルバムなどが「ここに置いて於いたからな」とばかりに目につくように箪笥から出されていた。それらを持ちだし、「お世話かけます、宜しくお願いします」と解体業者の人に挨拶してきたことだった。勿論初対面。なのに、私が荷物を物色している間はスーッと姿を消してくださった。感じの良い業者さんだった。

   解体の進む養家や秋はじめ   mako

本当はもっと感情を込められる季語、例えば、「秋さびし」「秋あはれ」「傷秋」という「生活」を表す季語を用いたいところだが、敢えて、秋の気配のする「秋はじめ」で押さえておいた。季語は「付きすぎる」よりも、控えめなものを斡旋するのが、かえって読み手に余韻を持たせて効果的と学んだ記憶。また、実際に「養家」とした方が依り物語を想像させるのではないでしょうか?実家ではありふれた事。