makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

角川平成俳壇12月号入選句②終戦日

2017年11月28日 | 日記

今日の1枚。

  ずっと一緒に  ♪

 

さて、角川俳句入選句その②、推薦句をここに記しておきましょう。

私たちの句会では週に1回の「席題句」というのがあって、

三つの季語でもって句を作りなさいというコーナーがあります。

そのうちのひとつが「終戦日」でした。

戦後生まれの私。

うかつなことを書けないし・・思案していました。

いっそ、スルーしてしまおうかとも^^;

 

そんなとき、蓮を観に行ったアクアワールドセンターの景を思い出したのです。

蓮池の西の方角には草の生い茂った水辺があります。

朽ちた舟がその中に埋もれ、まるで隠されているように思えました。

カメラにも収めたのですが、観たままとは違って、骸骨のようにも見えました。

だからその場ですぐさま削除したのです。

こういう時、デジタルは便利ですね。

 

でもそれと同じ舟が蓮池の別の場所に浮かんでいたことも思い出しました。

どこかにそれは残っているはずと探すと、2015年の中かから探すことが出来ました

それがこちらです。

 

園内の建物 (ここはかつて、住宅展示場だったそうです) の中に入ると、

かつての蓮池の様子の写真が展示されています。

この舟は人を載せて蓮池の中に漕ぎ出す遊覧舟だったのです。

私がここにカメラ散策に通いだしたのは随分後になってからのことですから

言うまでもなくそのイベントさえ今はありません。

 

ということでもってその舟のことと、

「終戦日」のことを組み合わせた句になりました。

季語「終戦日」となんら関係のない内容を「取り合わせの句」と言います。

それだけに季語の持つ意味をよく熟考しなければなりません。

終戦日を迎えた人々の気持ちは私など判るはずものではありません。

ですが、捨て小舟となった舟がふと浮かんできました。

それでできた句がこれでした。

推薦入選句に限り、選者先生の選評がいただけます。

このように書かれていました。

「 何でもない日常の水辺の風景だが、それがたまたま「終戦日」であったことで、俄然しみじみ

とした悲しみの句になった。さらにこの句は、いうまでもなく「海行かば水清く屍/山行かば草生ます

屍」の家持の歌とも、石牟礼道子〖苦海浄土〗の冒頭の歌、「繋がぬ沖の捨て小舟/生死の苦海果ても

なし」とも重なる。

驚きました。私の知らない詩歌の世界です。

また、そこには選者先生のお考えは何も書かれていません。

全くもって私と同じです。戦争、終戦日を書くに書けないのです。

なので、「捨小舟」を対象に、つまり物を対象に書いたのです。

選者先生とて同じことなのかもしれませんね。

先人の書かれた詩歌を引き合いに選評を書いてくださったのです。

 

俳句は魔物。

作者を一旦離れたら、読み手の知識、感性、によって佳句になり得ることがあるのです。

私の手柄ではありません^^;

何気に作った句でしたが、スルーしないで

「捨て小舟」という物を対象にして真面目に考えたことが功を奏しました^^v

 

あの日、草に埋もれて、骸骨のように見えた白い朽ちた舟。

今はそれさえもう取り除かれています。

草の繁みのなく、工事によって整備されていました。

昨年、アクアワールド水郷センターの「蓮の花」は全滅していました。

そのことに関連してるのかもしれません。