makoto's daily handmades

写経を試みる

父が亡くなって、初七日はお坊さまに読経していただいたが、七七日までは法要なし。

それもちょっと寂しいな、と思い、二七日から写経を試みようかと思っていました。

でも本格的な書道具は持ってないので、とりあえず筆ペンでいいから、やってみようと。

写経はいずれ本山に奉納できればいいけど、受付しているかな?とか。

そうこうしていたら、実家が講元の地蔵尊で奉納襷の切り裂きジャック事件がありまして。

しかも奉納襷の供養襷を作ることにもなりました。

それなら供養襷の中に写経を入れて奉経するか、と。

 

35年程前、般若心経の写経はしたことがありました。

私は下敷きを使わず、臨書したのでろよけ文字がますますよろけてはいましたけれど。

今回は十句観音経にしました。

文字半紙1枚に書くには大きめの文字でいいし、なによりも臨書しやすいところもいいです。

 

父のための写経も後でまとめてお地蔵さまに奉経しますが、これはお地蔵さまの帽子(頭巾)を編んで、その中に入れようかと思っています。

前掛けを縫ってその中に入れるのもいいなと思います。

三五日忌は閻魔様のお沙汰の日なので、この日にするか、七七日忌にするかは悩ましいところです。

 

このお地蔵さまは、昔からあるとしか認識していなくて、登下校の通学路にあっただけと思っていました。

奉納襷が切り裂かれたことがよほど心が沈んだのだな、と。

私は父を亡くしてまだ間もないです。

亡き父が生後1か月の私を抱いてお地蔵さまに襷を奉納してくれた写真が残って。

それを見るととても切なくなるンです。

 

お父さんも私の成長を楽しみにしてくれていたンだな、と。

 

結果、適当な人生しか歩んでいない私が出来上がったにせよ、これが家族の愛情の表れなんだな、と感じています。

でもこれが信心かどうかは微妙なんですよねぇ。

 

信心もあるでしょうけれど、誰かも知らない人物に奉納襷を切り裂かれたことへの強い反感があります。

その反感からの行動も含まれているとも感じています。

写経で心穏やかに、この事件を受け入れられる時間を設けられればいいな、と思っています。

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