makoto's daily handmades

朝の港の見える丘公園を歩く

パートの出勤日。ちょっと早めに家を出て、前から行ってみたかった港の見える丘公園を歩く。

谷戸坂から少し外れて公園脇の坂を登る。
この石垣、積み方からみると近代的なので、明治時代か大正時代のモノだと思う。
やっぱり石垣好きな私。
でも、とても急坂なので歩くのに四苦八苦。


以前の会社に勤務していたとき、この近くで暑気払いをした。
夜しか来たことがないから、朝の風景は新鮮だ。


大きな橋がベイブリッジ。肉眼では鶴見つばさ橋も見えているが、写真だとイマイチ。
ジブリ映画の「コクリコ坂から」はこの辺りの風景らしい。
でも、今から50年くらい前が映画の舞台だから随分眺めも違うはず。高速道路がないからなぁ。


こっちの方角は、私が住む町なのだけれど、肉眼でやっと確認できるご近所のタワーマンション。
もちろん、わが家なんてビルに埋もれてサッパリ分からない。


この像、ずっとどこにあるのだろう?と思っていたんだ。
私とそう変わらない年齢の子どもたちが亡くなった横浜米軍機墜落事故の犠牲者を慰霊した像。
事故は全然違う場所で、今の横浜市青葉区荏田北で起きた。
米軍機墜落事故の犠牲で幼い兄弟が亡くなり、若い母親も全身火傷を負い、後年亡くなる。
私が中学生の頃、この像が被害があった場所ではなく、横浜の観光地に建てられるに当たって、条例などの問題でタイトルが二転三転しているという新聞記事を読んだ。
当時、社会の授業の最初に、気になる新聞記事を発表する時間があった。
私はこの新聞記事を発表。
でもクラスメイトの殆どはこの事故を知らず、先生が「みんなにも知っていて欲しい事故だ」と言ってくれた。
私の母はたまたまこのとき、墜落する米軍機を見かけ、そして黒煙が上がったのを見たという。
だから、私はなんて恐ろしい事故なのだと幼いながら覚えていたのだ。


10年ほど前、この銘板が追加されたそうだ。
その銘板ができたことで、横浜米軍機墜落事故との関連付けができたという。

この像がここにあることが分かって本当によかった。
ずっと山下公園内にあると思っていた。だから昼休みに探してみてもよく分からなかった。
違う公園を探していたのなら、見つからないはずだ。

私は左寄りのしそうではないけれど、なんの落ち度もない市民がある日突然空から戦闘機が降ってきて、大火傷を負って生死を彷徨うことになるなんて、なんて理不尽なのだろう。
しかも戦後30年以上経って。
私には子どもがいないけれど、締め付けられるような気持ちになる。
この像のように、天国で親子が仲睦まじく過ごしていて欲しいと願うし、本来ならこんな何気ない思いやりの風景があったはずだ。

いつまでもこの像が存在し、いつまでも市民から親しみを持ってもらえるような、そんなささいで当たり前のことが続きますように。

朝から思わず涙がこぼれそうだった。
気持ちを切り替えて私はパート勤務に向かった。

コメント一覧

makoto
jun-sweetsさんへ
横浜米軍機墜落事故の件は、もう40年近く前の理不尽な事故です。
この像が建つことにもたくさんの壁があったことは、私が中学生の時に知りました。
今朝見たこの像は、木々の間から朝日に照らされ、とても穏やかで事故のことが分かりませんでした。
銘板を読んで初めて「ここにあったのか!」と驚きました。
末永くこの像のことが語り継がれることを希望します。
jun-sweets
こんばんは(^^)
墜落しなければ、幸せな家族の姿があったと思うと悲しいですね。
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