大河ドラマ「麒麟がくる」は、第1話の感想を書いてから1年以上ブログには感想を書きませんでした。
今までで一番の受難作品で、放送回数こそほぼ予定通りでしたが、脚本は何度書き換えられたのだろうか、と思う作品でした。
ネタバレはしたくないのですが、感想を書くので多少は書いています。
ネタバレを好まない方はこの先をお読みになることをおすすめしません。
主人公は明智光秀。
でも明智光秀の歴史は、不明な点が多いのでどうやって描くのだろうか、と思う人物でした。
学生時代、史学概論の授業で「歴史書は勝者の歴史。敗者は歴史に残らないし、勝者に都合よく書かれている」と教わりました。
たしか教授は「平将門や明智光秀は学生の君たちが知っているイメージとは違う人物かもしれない。でもそれを実証する史料が見つかっていないだけ」とお話されていたっけ。
今回の大河ドラマでは、織田信長が空気が読めない残忍さがカリスマ性を高めていたし、嫉妬とかかなり人間くさかったな、と思いました。
狡猾さでのし上がった豊臣秀吉、何を考えているか腹の底を見せない徳川家康とか。
明智光秀が愚直過ぎたせいで周りとうまくいかなくなったとか、このタイプは歴史書では悪役を全部押し付けられたな、と。
そう思わされる展開でした。
最終回は、終始秀光が粛々と事を運んでいきます。
つい数週間前の放送回までは、秀光が血気盛んな物言いをしていたのに、全然声を荒げる姿はありません。
そして光秀が亡くなるシーンもありません。
こんなに静かなというか、厳かな雰囲気の本能寺の変は、数々の時代劇の中でも珍しいです。
「真田丸」でナレ死した信長や光秀ですが、これは主人公が真田信繁だったから。
主人公は死んでいるはずなのにナレーションで山崎の戦いに破れたことだけとは驚きでした。
本能寺の変は、日本中がひっくり返ったような歴史上の大事件ですが、本当は京都の片隅で起きたクーデターで小規模戦闘に過ぎなかったのかな、と思わされました。
今回の大河ドラマでは、かなり民衆の生活を垣間見ることができたのが面白かったです。
室町時代後期になってくると、芸能をはじめ随分と民衆の記録が現代に残っているからです。
私が学生時代に学びたかったのは、天皇家、公家、武士の歴史よりは、民衆の歴史(記録)だったので、興味深い点が多かったです。
今回の大河ドラマは、ブログの読者登録している方の感想を読むのも楽しかったです。
多分、秀光の半生は不明点が多くてこれまであまり描かれて来なかったため、創作部分が多かったはずです。
だからこその感想を抱く方も多くて。
前半で爆笑したのは「創作人物の東庵先生とお駒ちゃんと以呂波太夫を省略したら、話の展開にスピード感が出る」という感想でした。
それをやったら、ドラマじゃあ無くなるな、と思いました。
BSPの「偉人たちの健康診断」「英雄たちの選択」等で取り上げられたような内容が反映されていなかったのは残念。
とくに「偉人たちの健康診断」ではレビー小体型認知症の兆しがあった説を1年ほど前に取り上げていたので、大河ドラマでも取り上げるかと思っていました。
意外と私は良かったな、と思ったのは、菊丸です。
いわゆる忍者とか斥候にあたるのですが、薬草摘みの行商人とは、いい役どころでした。
終盤では時々弱音を言っていましたが、人間味ある市井の人という感じが滲み出ていました。
今回の大河ドラマ、当初思っていたよりもずっと良かったです。