この日も午前5時半からの収穫作業からお手伝い。
今収穫しているメイン農産物は、肌艶の見分けがとても難しい…。
私が結婚後から導入した品種なのと、元々あまり気に入らない品種たからなのでしょうねぇ。
美味しいンですよ、たしかに。
でも同じ時期なら昭和末期に発表された品種の方が私の好みなんです。
この農園でもこんなに美味しい品種ができるようになったんだ…その感動が忘れられないのです。
その頃、父が1度目の農林水産大臣賞を受章した頃で、農園の円熟期に達した時代でした。
当時は行列ができるほどの盛況ぶりでは無かったものの、父の栽培技術が世間に認められた、という時期でしたからねぇ。
この私の好きな品種は、ほぼ直売所でしか入手できないです。
形が特殊で、美味しいのに流通に乗せづらい、そんな理由で広まらなかったンです。
大変もったいない品種としか表現できません。
サブ農産物のブドウもそろそろ終わりに向かっていて、黒系ブドウは終了。
シャインマスカットがあと数日販売できる程度です。
確実に直売所の閉店に向かっているなぁ、と思っています。
そして、いつもの年ならこれで来年までの閉店ね…と感じるのですが、今年は一味違います。
来年は、直売所を開店できるのだろうか?という疑問です。
父が来年の開店時に生きているかな?
兄が来年の開店時に生きているかな?
父と兄が居なくて、農業なんてやってられるのかな?
今まで1度も感じたことのない危機感が募っていきます。
さて。
前日、父がCVポートを埋め込んで、少々の予期せぬ事態にはなったものの、この日もお見舞いへ。
驚きの状況でした。
父の顔色が一気に良くなっている、なによりも肌に潤いが戻り、口の中の渇きが軽減されていました。
そして私の第一印象に自身が衝撃を受けました。
不自然な生存を可能にしてしまっている、私が子どもの頃から聞かされていた父の唯一の終末期の希望を無視している…そんな印象を抱きました。
祖父(父の父)は、終末期に胃ろうをして、その姿を見ていた父は胃ろうに対する後悔を何度も母や私達きょうだいに聞かせていました。
だから私はCVポートに反対したのですが、私の意見は採用されず。
で、目の前の父の姿は、CVポートで息を吹き返した状態です。
こんなにも肌艶のいい父は久しぶりに見ました。
腕なんてしっとりとした触り心地です。
栄養と水分が行き渡ったのか、と。
ここから始まるのは、父の寝たきりの姿です。
CVポートの埋め込みに反対したものの、兄のたっての希望でしたから、受け入れざるを得ません。
そして何よりもの後悔が、父には一切知らせていないこと。
兄と母の判断で、父には伝えないそうです。
私が父に「昨日、胸にちょっと手術したの、分かった?」「少しは楽になった?」と尋ねたら、2回目ともうなずきました。
発語も少しは分かりやすくなりました。
父は少しですが元気を取り戻したんだ、と安堵したものの、父自身はどういう状況か知らないンだもんなぁ、と堪らない感情も起きてしまいます。
毎回父には「ここはT病院よ、A病院じゃあないのよ」と話しますが、毎回初めて聞くような表情をします。
父の人生で無縁だったT病院に居るとはまったく想定できないのでしょう。
私は面会に行くたびに当日の日付を話します。
この日は「誰が9月生まれだったか?お前か?」と父が話します。
私「私は9月じゃあないよ、誰だろうねぇ、9月生まれは。お父さんは10月だもんね、もうすぐお父さんお誕生日ね」と話しました。
私の誕生日は分からないかぁ、そうだよなぁ、分からないよなぁ。
父の親きょうだいの誕生日までは把握していない私には、父が納得できる答えを知りません。
こんな会話ができるようになるとは思ってもみませんでした。
これを喜んでいいのか、悪いのか、私には分からない複雑な思いを持ってしまいます。
この気持ちはMIFさんにしか話せず、ちょっとその点を話してみたら「家長が決めたことなんだから、そんなこと言うなよ」。
そうよね、そうなるよねぇ。
私も兄が決めたことだから、兄には言えないし、現実として父が少し元気を取り戻したことには驚きと嬉しさはあります。
その一過性の嬉しさはやがて失望に取って代わることも知っています。
だからこそ、苦悩が生じていくことへの不安なのでしょう。
答えが出ないことに答えを求めているようで、不安と不満が怒りに繋がりつつあります。
兄や母を責めたくないものの、踏ん張りが効かない2人に苛立ちさえ感じてしまいます。
私はセルフアンガーマネジメントを辛抱強くせねば、と心に抱く日々になりそうです。
次回も楽しくお手伝いがしたいです。