この日も午前5時半からの収穫作業からお手伝い。
秋風を感じるようになり、体力的には少し余裕が出てきました。
この日の午後は義姉が通院だそうで、急遽私がお手伝いすることに。
だがしかし、昼頃母と大喧嘩勃発。
母の一言「お前は今日、お見舞いに行かなくていい」。
私が言い返した言葉が「お母さんは教養がなくてそんな言い方をするの?それとも私がお見舞いに行くのがそんなに迷惑なの?お母さんの許可がないとお父さんに会いに行っちゃあダメなの?」でした。
そりゃあ喧嘩になるよねぇ。
で、午後1時半になって、予定より早くお払い箱。
この日は、午後1時半から父のCVポートの埋め込み手術がありました。
主治医からは立ち合い不要と言われていましたが、普通、母が立ち会うものだと思っていたのに母は在宅。
私が帰宅したら母から電話があり、父が手術中に急な血圧低下で入院が1週間延びました。
術後翌日には転院予定でしたが、それが日延になった次第です。
元々私はCVポートの埋め込み手術には反対していたのですが、兄と母が手術希望だったこと、昼に大喧嘩したことで、母の気持ちが萎えてしまったのでしょう。
父は私と同じく足の骨折が原因でいまだ片足に疼痛があります。
ゆえに手術をすることで父が新たな疼痛を抱えるのはしのびなく。
また祖父(父の父)が終末期に胃ろうだったことで父が苦悩したことを聞いていたため、延命だけのために手術するのが私にはしのびなく。
かつ、栄養液薬だけで父を生かすことへの抵抗感と転院先が、なんと最初に入院した壁と天井のシミだけを数えて余生を過ごすような介護医療院なんだもの。
そんな病院モドキではCVポートの管理すら危うい施設に入院させるンだものなぁ。
これまでまともなことをして来なかった後悔を、こんな終末期にいじくって帳尻を合わせするのは止めて欲しかった…、これが私の本音です。
ですが、兄がどうしても父に1日でも長生きしてほしいだなんて、言い出すンだもんなー。
進行性の病気を抱え、その転移が見つかっている兄が言い出したら、誰も止められないよー。
すでに父は、骨と皮だけのような姿になってしまっていて、この日は「お父さん、目をパチパチできる?」と尋ねても無反応でした。
右目の表面にゴミのようなモノがありましたが、まばたきができないので、それが動くこともありませんでした。
祖父(私の母の父)が亡くなる直前も、目の表面がいつもと違っていたのを鮮明に覚えていたので恐ろしくなってしまいました。
私の諦念によって、父を不自然な状態にして生かす方向になりました。
静かに最期を迎えさせたい、胃ろうなどはしないと思っていたのに。
転院まであと1週間。
父は生きながらえるのかなぁ?
終末期を穏やかに迎えさせてあげたいのだけれど、それはムリなのかもしれないです。
少なくともまばたきができるようにはなってほしいのですが、今の状態からはどうなのかなぁ?
私が面会時間に訪れた時、父には「お父さん、今日はとても疲れたでしょう?」と声をかけたところ、1度うなずきました。
そしてその後は会話が成立せず。
誰か来るのを待っていて、その後は寝てしまった、という雰囲気でした。
たぶん今後はそう簡単には会話が成立しないのかもしれません。
直売所の様子も少し話しましたが、今後は会話が難しい時期になりそうです。
もう少し直売所の様子や販売状況、果樹園の様子も伝えられたらな、と思っています。
次回も楽しくお手伝いしたいです。