昨日紹介した八叉路。
昨夜宿直で不在だったMIFさんに「分かりにくいよ!地図くらい載せろよ」との苦情を頂いた聞き流す。
さて、昨日の道路のうち七番道路(仮)を多摩川方面に進む。
行き止まりは階段。階段の上に多摩沿線道路、その上が多摩川右岸の土手。
多摩川右岸。河口方面(東京湾方面)を望む。この対岸辺りは、鉄腕DASHで何度か出ている。じつはこの辺りはすでに紹介したことがある。
多摩川右岸から上流を眺める。秋の空だ。
ゆっくり走ろう…ここはサイクリングロード兼散歩道。
再度の忠告。ゆっくり走ろう。
あ!新幹線!
最近MIFさんがしきりに「お前さん、鉄ちゃんだよな?」と尋ねる。そのたびに違うと否定する私。
河原のゴルフ場
河原なので公道ではない?けれど、沢山の道が集まっている交差点。
いろいろ歩いていたら、草むらの階段を歩く羽目に。蚊に刺され始める。
横須賀線や湘南新宿ライン等が通過する多摩川橋梁。
夕日の差す様子が絶妙で、すごくいい。橋好きの私にはこの日差しの角度は溜まらなく好き!
路面の注意書き。残念なことにこのサイクリングロードで歩行者優先を感じたことはないぞ!自転車がビュンビュン通るぞ。
おや、今度は合流注意ですか。こんなに沢山の注意書き、今まであったかな?とクビを傾げてみる。
なかなかエッジの尖った合流だ。坂道になっているのもいい。
ご近所では多摩川方面にの河川敷位でしか見かけないだろう。
私が大好きな丸子橋。以前、暑苦しい位の丸子橋愛を語ったので今回は割愛。
あ、でも、この風景、大好き!とだけは申し上げておく。
日暮れが近い。河川敷から土手を見上げる。秋の空だ。とても暑いけれど。
丸子橋の奥に見えるのは東急東横線の橋。
このコンクリート製の階段状のモノは、昔、多摩川スピードウェイがあった頃の観客席だったんだって。
今年7月に川崎市民ミュージアムで見た展示で紹介されていた。
昔あったサーキットなのだけれど、今で言うツインリンクもてぎのことと思っていい。
このサーキットでは本田宗一郎氏が、ホンダの車やバイクを試験運転させていたりしたという。
うはー!いい眺めだ!素晴らしい橋梁だ。あ、橋への愛が止まらない…。
対岸辺りは漫画「たまりば」の舞台となった場所。いつもここで物語は展開する。
あの車輛は、半蔵門線カラーのように思うが、どこからやって来たのだろう?
東急東横線は副都心線や東武線にも乗り入れているからよくわからない。その上将来は相鉄線にも乗り入れとか、もうサッパリ分からない。
土手のネコジャラシがとても綺麗だったのだけれど…再現力が相変わらず低いタブレット内臓カメラ。
相変わらず草むらな感じ。虫刺されも増えてくる。
東横線の橋梁は直下までコンクリート製階段。電車が通ると音が大きい。
土手に登っても橋の直下の様子がよく分かる。この下を通るとワクワクしてしまう。
草むらの中の歩道橋。これも前に紹介したが、この時期にはこんなに草むらの中とは知らなかった。
歩道橋の上から新丸子保線区。うはー!いつ見ても面白い風景が広がる。
歩道橋の上から楽天本社ビルを望む。
歩道橋の上から羽田空港方面を見ていたら、こんなに大きく東横線の車両が見られた。
対岸辺りは等々力渓谷あたり。
今日進むのはこの道。
今まで1度も通ったことがない。
歩道橋を下ってすぐに見つけた水路。二ケ領用水の支流?とワクワクするが、今日の目的は違うので我慢だ。
やだ、これも用水路の跡かしら?とワクワクなのをグッと我慢。
やっぱり、用水路のあ暗渠かモヤモヤする。
あれ?下水なの?あれれ?
上水ではないから下水でも間違いではないけど??
私の勘がこちらへ進めといっている。
あれ?幅員減少だ。しかも行こうと思った東横線下を通り抜けできないかも?
あれー?社有地だった!一般人が入れないので迂回するしかない。
どこだろう、ここは…と思いながら歩いている。
あ、思っていた場所とは違う?どこだろうここ。
電信柱に目指していた道である証拠を見つけた。中原街道だ。
丸子橋は中原街道の橋。
川崎側に渡ってすぐに綱島街道に分岐する。今日は中原街道を歩く。
中原街道は、江戸幕府ができてすぐに整備された五街道の1つ、東海道だった道。東海道は、江戸~平塚間に限っては、街道整備の関係でこの中原街道が元々の東海道。
ちなみに幕末には生麦事件が原因で、再び中原街道を東海道にしようと整備していたが、明治維新になってそのまま現在の東海道が残ったのだとか。
歴史の「もしも」を考えるのは無粋なことだが、幕末にこの通りが東海道に格上げされたら、川崎市の行政は確実に変わっていたことだろう。
あ!お茶と海苔だ!私、こういうことも学生の時に調べていた。お茶と海苔を扱う商店は、大きく儲からないけれど、長く続く商店の1つだ。
こちらはタバコ屋。今どき珍しい店舗付きだ。
タバコ屋も宿場町には欠かせない。
この通りはかなり真っ直ぐ。ただし少し先で中原街道特有の地形になる。
マンションの前に道標となる杭があった。
杭の左右には違う文章が書かれている。それにしても、これは市が設置したのか個人(マンション所有者)が設置したのか判断がつかない。
マンションの照明。大名行列だ。
マンションの敷地にとても立派な門。公開空地になっている。
川崎市の案内板。中原街道ゆかりの原家住宅だ。そう言えば、多摩区の日本民家園にこの住宅が移築されていた。とても立派な建物なのと、ガラス扉がステキだった。古いガラスなので波打つ表面がいい感じだった。
この道標は古いモノを復刻した感じだった。
公道から門の裏手に回れる。
門の真裏。
敷地内にはお社がある。個人宅でこんなに大きなお社を維持するだなんてスゴい!
マンションの1階部分。蔵の扉があったり、ショーケースがある。とても凝っている造りだ。
蔵の鍵。
瓦。
別角度からショーケースを撮影。
博物館好きの私にはとても楽しいコーナー。でも日光に展示物がさらされて、本当に大丈夫なのか?紫外線による経年劣化が激しいのではないか…ととても心配になってしまう。
マンションの照明は全部大名行列柄。本当に見飽きない。
これだけ広い公開空地がいにしえの雰囲気を残している。ふらっと立ち寄った私をワクワクされてくれた空間だ。
こちらは別の住宅。川崎市の案内板があるが、まだどなたかがお住まいの様子。公道から眺めさせていただく。
中原街道名物の醤油屋。今は醸造していないと聞いたことがある。
以前、上丸子の日枝神社を訪れたときにも見た八百八橋のなれの果て。ここでは案内板があって丁寧に扱われているが、日枝神社の裏に積まれた石橋は雑然としていた。
分かりにくいが、中原街道はここで左にカーブしてすぐに右に曲がる。要するにクランクになっている。
この道は、東海道だったことがあるので、江戸に入る前の最後の難関となる。
ちなみに小杉陣屋町という地名。ちょっと格好良くて、ちょっと歴史を感じる。
ところがこのクランク、将来なくなってしまう。正面に見える土地の買収が進んでいる。
クランクの近くに西明寺がある。ここも歴史あるお寺さん。十数年前に大きな不祥事があってニュースにもなっていたっけ。当時は「あの歴史あるお寺さんでこんなことってあるモノなのか?」と驚いた。
この記念碑は平成になってからのモノ。この時は拡幅だけだったのだろうか?
クランクの道はやっぱり交通の難所なので拡幅しただけでも記念碑建立になるのだろう。
霊場にされている。参道が長いのでこういった石碑がたくさんある。
まだまだ参道。やっと西明寺の名前が分かる石碑。
石橋の奥に山門。もしかして二ケ領用水の支流?と想像する。
山門の仁王さん。
逆サイドの仁王さん。
確かに午後5時を回っていた。閉門後だった。境内に入れずガックリ!
自宅からそんなに遠くないので、また来ればいいだけのこと。
それにしても、寺紋がミツウロコではないか!この前、江の島で見かけた紋と同じだ。確かに吾妻鏡に日枝神社は出てきたので、この辺りもなにか関係しているのかもしれない。
もう少し学びたいなぁ、と思わされた。
それでは、先ほどの山門前の水路を追ってみるか…とUターン。
山門の仁王さんの裏側に狛犬!とても丁寧な彫りだ!牡丹まで咲いている。尻尾の毛の巻き方もウズウズで好みの巻き方だ。
おお!こちらの狛犬はとっても珍しく、背中に子犬を乗せてるぞ!鞠にも凝った彫りがある。
こんなに凝った彫りの狛犬は珍しいので、どなたの寄贈だろうと見える範囲を眺めたが「寄贈」の文字がない。年月や石工や彫工の名前もない。と言うことは、お寺さんがお寺さんの費用で制作したのか?それともやんどころない方から贈られたモノなのか?分かる表示がない。
それにしても左右の狛犬にそれぞれ子犬がいるなんて見たことがない。それだけ子どもを大切にしたと言う願いがあるのだろう。たぶん。
さて水路っぽいところを歩いていこう。
ここでもクランク。なんかワクワクする。
あっ!すぐ先で水路跡には入れなくなった。 残念。
よくわからない細長い土地がある。奥に中原街道のクランク部分が見える。
この細長い道が中原街道予定地のようだ。真っ直ぐな道になんのだなぁ。
逆サイドの中原街道予定地。入ってはいけないので、先ほどの水路っぽいところを追っていくのは諦めた。
中原街道のクランク部分方面を望む。
目の前の横断歩道は中原街道。その先に真っ直ぐ伸びる道路に進んでみよう。
アロエが大きく伸びていて、面白い造形になっている。
なんだろう…入るモノを拒むような公園の入口。
子どもの飛び出しをさせないためのモノなのだろうか?初めて訪れる私にはかなり圧迫感がある。
公園の敷地に入ってから振り返ると公衆電話も隠れていた。
公園全景。細長い道状の入口の先に広い広場。先日上小田中でも見かけた公園の形状だ。私が育ったところは、こんな形の公園がなかったからとても珍しく感じる。公園ってたいてい四角い土地にあるモノだと思っていた。
逆サイドの公園の入口。こちらもやっぱり細長い道。
公園を出てまた知らない道に出た。とりあえずこの道を真っ直ぐ進む。
途中でふと道端を見ると「松屋」の看板。川崎区の川崎大師の銘菓「とんとこ飴」や「せき止め飴」で有名な飴屋さんの看板だ。
なんで??と思いつつ、これはごみ集積所用のごみ箱。こんな企業協賛見たことがなかったのでビックリ!面白い!
気が付いたら府中街道に出た。この道を通ったら知っているところばかり歩くことになるので、ファミリーマートの先で左に入る。
いいぞ、いいぞ、歩いたことがない道だ。
少し広い道に出て右を見たら、にゃんこ!にゃんこはどこに行くのだろう?追ってみよう!
ああ…すでににゃんこを見失う。そして…こんなところに団地?あったっけ??社宅かなぁ?と思ったが、どうやら市営団地のようだ。
この表示に釘付け。「御殿」だけど「団地」。
御殿なの?団地なの?って心の中でクスクス笑う。
地名が小杉御殿町で、ここにある団地だから、御殿団地。
せめて御殿町団地だったら、こんなにクスクス笑わなかったのに。ネーミングセンスが面白すぎ!
団地を通り抜けるとバス停。ここバス通りなの??そう言えば市営団地があるところには、市営バスが必ずバス停を設けていると言うセオリーを思い出した。けっこう駅に近い地域なんだけど、ちゃんとバス停があるんだ。知らなかった。
白い塀の奥はタワーマンションの建設現場。武蔵小杉駅北側に初めてできるタワーマンションで2棟建設中。
そびえるクレーン。空はすっかり秋。
タワープレイスの裏通り。もうすぐ武蔵小杉駅だ。
塀の上ににゃんこ発見。人間が近づけないことがよく分かっているみたい。ゆっくり毛繕いをしていた。タワープレイスの敷地内。
タワープレイスの裏の柿の木。実が色づいていた。
でもね、柿の木のとくに葉っぱが良くない。剪定も庭木用の剪定なので、実を付けること柿の木が疲弊しそうで心配になる。
あ、ワタクシ、柿の生産農家の視点で見てしまった…。庭木用と生産農家用では木の仕立て方が違うので、ついつい目で追ってしまう。
このタワープレイスの1階は通り抜けるができる。
すると武蔵小杉駅のすぐ近く。今回はここまでの散歩となった。
歴史ある中原街道の、往時の面影を追う散歩だった。
学生時代に脇往還をテーマに調べていたことがあった。当時も歩いたことがあったが、当時はとても狭くてこんなにキレイではなかったし、中原街道のクランクがなくなるだなんて考えたこともなかった。
変わりゆく中原街道を見られて本当に楽しかった。
多摩川の土手は歩いたことが何度もあるが、今回通った道路は初めて歩く場所が多くてワクワクしっぱなしだった。
ついうっかり水路っぽい痕跡を追いたくなる私。
そんな自分を自覚しながら、一方で「二ケ領用水の暗渠になった支流まで追っていたら、一生かかっても終わりない旅路だぞ!」とストップをかける自分もいる。
何しろ今は町歩きが楽しい。これからも歩こう!