この日でKくんのお父さん(通称:おじさん)のお手伝いが終了。
おじさんは、兄と私の幼馴染のお父様で、朝の収穫作業の補助と収穫物の仕分け(規格分け)をしてくださいます。
だから開店前の2時間だけのお手伝いです。
まずおじさんのお手伝いが終わり、次が開店準備や販売を手伝ってくださるHさんが終わり、次にT叔父の手伝いが終わり、その次が私です。
終わりが見えてきたなー、という気分です。
あと10日くらいで直売所も閉店です。
この日は、開店準備、販売、品出し、入場案内などのお手伝いです。
今はメイン農産物の中生種が全盛期ですが、サブ農産物のブドウは次回で今年の収穫は終了します。
いやー、ホント嬉しいです。
今期は五十肩を発症したのですが、前々から騙し騙し使ってきた左肩でした。
途中でこれはまずい、と焦る日もありましたが、どうにか乗り越えて来ましたからねぇ。
まだこれから腕を挙げる作業はありますが、あまりムリはしないように気をつけながらお手伝いを続けて行きたいです。
さて。
この日も父のお見舞いへ。
昨日よりはいいけれど、一昨日よりは悪い…そんな表現しかできません。
私の顔を見て父はすぐに「makoちゃん」と声をかけてくれましたが、違和感たっぷりです。
父が私を呼ぶ時は「makoto」と呼び捨てです。
ちゃん付けで呼んできたのは、私が小学生くらいまで。
だから、父が何かを勘違いしているのだろうな、まさか私を小学生くらいに勘違いしているのかな?
イヤイヤイヤ見た目は立派なアラフィフおばさんの私。
父の認知症のタイプでは年齢を勘違いすることは少ないはずなんだけれどなぁ。
それといつも手を震わせているのですが、それは手の拘束を外してほしいという意思表示だと私は思っていました。
ところが父が言うには「手を動かして置かないと動かなくなるから」とのこと。
私が「え?それじゃあ、手を揺らすのは止められるの?」と尋ねると、ピタッと動きを止めて胸の上に手を置きました。
あれ?震戦ないの?
父が実家にいた最後の頃、手の震戦を見てビックリしてアレコレ手配したのに震戦がない…。
それなら、父は今、なんと言う病気と戦っているのだろう?
パーキンソン病(仮称)状態だとは聞いていますが、これはパーキンソン病の投薬のおかげなの?
疑問だらけです。
なぜこんなにも消化器系が弱体化したのか私には理解しがたいのです。
とはいえ今の父に病名の特定は必要なのか?という疑問もあります。
病名特定のために検査ばかりすることが父を疲弊させてしまうことになりそうです。
何よりも兄と母が、父を1日も長く生きていてほしいと願っているのですから、ムリはさせられません。
そして予定ではそろそろ看取りのための病院へ転院しそうな感じです。
ここに書けないようなこともたくさんあったし、これからも次々にいろいろなことが起きるとは思います。
でも今、ニコニコと私に笑顔を向ける時もある父が、なるべく苦痛を感じずにいてほしいな、と思います。
いや、すでに中央静脈栄養で生を繋いでいる状態なのですから、父にとっての苦痛は続いているとも言えます。
なんの選択をしても、父にとって何が最適なのか私に判断がつきません。
次回も楽しくお手伝いしたいです。