makoto's daily handmades

お手伝い 9月6回目 直売所

この日も直売所には少々の行列ができていました。

今期、行列なしの日は今までなく、昨年とも様子が変わってきたなー、と。

というのも、昨年同期は行列0人の日がありましたから。

フェーズが違うという印象です。

義姉の言葉では、あと数年でこの農園は無くなるそうですから、この毎日行列状態からの農園そのものが無になるとどういう現象が起きるのだろうか?と気持ちが複雑になります。

この時期は食べ比べができるいい時期です。

早生種もいいのですが、私はこの食べ比べができる時期がホントに好きです。

早生種をそれほど美味しいとは思っていないからなのですけれどね。

中生種は複数あって、選択肢がある状態です。

それに真夏の猛暑の時に食べるよりも元々秋の味覚なのですから、秋風を感じられる頃の方が美味しく感じられるし。

この時期を狙ってご来店されるお客様を見ると「ツウですね」と心の中で呟いてしまいます。

令和の米騒動でも感じますが、情報に踊らされることなくいつも通りの行動をすることの大切さを感じます。

早生種は十分な量が出回るのはお盆過ぎなのだから、それまで待てばいいのに、そうご案内しているのに、それは私が毎年思うことです。

 

さて。

直売所の様子を写真に撮って大きく印刷した紙を父に見せました。

この日は調子がイマイチだったので、全く見向きもしてくれませんでした。

しきりに見えない何か、父いわく黒い影が見えていたせいか、不安そうな父をなだめているばかりでした。

毎回、今いる病院名を初めて聞くような表情で聞き、日付を伝えてもビックリしたような顔をします。

父の症状はそういうモノなので、私はいつも通りとしか感じません。

毎回、父が手のひらの拘束を外せと怒り、家に連れて帰れと八つ当たりするのも、私は別に気にしません。

私には何一つツラくないです。

それは亡き祖父(母の父)も同じだったから。

 

まだ怒ったりできるんだ、元気な証拠だから受け入れよう、という感覚です。

自分の感覚が麻痺しているのも理解していますが、母や兄はこれが耐えられないようです。

それは亡き祖父を毎日見舞ってなかった2人には、どういう経過をたどって事切れるのを知らないからなんだろうな、と思っています。

今の父は中央静脈に直接輸液を注入してなんとか生命を維持しています。

亡き祖父も曽祖父もやらなかった延命治療に突入したのですから、今後の経過は私にもどうなるのか、イマイチわかりません。

だから毎日のお見舞いが今生の別れになるかもしれない…そう思っています。

だがしかし、母や兄はそれを受け入れていないンです。

なんだろうな…母と兄は可哀想だな、としか思えなくなって来ました。

父の願いを聞き入れない、自分たちの都合優先の母や兄を私はどう受け止めていいのかよくわかりません。

兄のたっての願いで延命治療を受け入れたけれど、では延命治療の先にあるのは何か?を知ろうともしません。

それを私が批判するのは簡単なのでやりません。

人間は生まれたら必ず死ぬ、その死に向かう存在なのだから、それまで精一杯生きるだけのことなんですけれどね。

私が日々、精一杯生きているかどうかは別として、少なくともメメント・モリを意識して生活をしています。

母や兄にそんなことから説明しなければならないのか?と思うとその気が失せてしまいます。

父に意思確認をせずに延命治療に突入させたのだから、その様子を毎日見舞わないだなんて、母と兄に失望を抱かざるを得ません。

私の耳には父の「こんなになっちゃった」としきりに繋がれた管を気にする様子、焦りの様子が残っています。

この様子を一生私は忘れないだろうし、耳から頭から離れないでしょう。

今は繋がれた管は少し減りましたが、父は輸液なしには生きられない状況で、使われなくなった消化器はいずれ機能しなくなるでしょう。

私の複雑な思いが、父に伝わらないことを願うばかりです。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

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