広島の原爆の日、目の怪我で軍需工場をたまたま休んだ秋子さんが7つ年上のお姉さんの死と向き合った作品。
私は30年以上前に読んだ1冊で、当時は分からないことがたくさん表現されていた。
今回は借りてきて、結局1時間半くらいで読み終えた。
そう言えば、私もうちの植木畑の松の幹を叩いたなぁとか思い出したりした。
この本の主人公、秋子さん、後悔ばかりしてしまう。
それは自分が何をできるのかさえもよく分からない15歳。
よかれと思ったことが、一方では役立っていなかったことに気づいて落ち込んだりする。
でも15歳なら、何が正しい行動で、いま何をすべきか1人では的確な判断もできない。
歯がゆい思いの中で、お姉さんを亡くしてしまったのだ。
秋子さんの父は商売のために樺太へ、母は病弱な弟に付き添って縁故疎開、姉妹だけが打越に住んでいたのだ。
小学生の時に読んだ私は、広島市の地形や地名なんて全然分からなかったし、方言も聞いたことがなかったから、言葉の意味もあまり理解していなかった。
市電も見たことがなかったから、その仕組みもよく分からない。
今回は地形や地名を所々タブレットで調べながら読んでみた。
30年以上を経て、こういう意味だったのか、こうだったのか…と納得するばかり。
大人になった今だからこそ、秋子さんがうろたえる姿が分かるのだが、子どもだった私にはとても15歳とは思えなかった。
だから、少し記憶が曖昧になっていて、軍需工場を休んだのはお姉さん、秋子さんは小学生だと記憶違いをしていたくらいだ。
先日の広島旅行で、この本のことを思い出して、また読んでみたいと思い、行動を起こして本当に良かった。
こんなにも悲しい話を忘れそうになっていたからだ。
そしてこの本では、松と槙が出てくる。
そうそう、私も旅行中、川崎市ではこんなにも松と槙が目につくことはないんだよなって思っていた。
実家には当時植木畑があったから、松も槙も身近だったが、じつは街なかではあまり見かけない木であったことに、この旅行で気がついたくらいだ。
旅行中に見学した広島城内の大本営跡地は基礎しか残っていないのは、原爆投下の年に薪として持ち去られたからという理由だった。
この本でも、その年の11月、夏服のまま河原で寒さに震え、秋子さんの幼なじみが薪を拾い集めている描写があった。
旅行中、MIFさんが知らないというので、槙の葉っぱを拝借して手裏剣を作ったりもした。
槙の葉っぱで手裏剣…平和だからそんなたわいも無いことで笑っていられる。
本当に自分の身の回りが平和だと感じる。
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