私にとって一時期はお隣にお住まいで、一緒に暮らしたこともあるU大叔母さんが亡くなりました。
私の祖母よりも1歳年下だったから93歳だったと思います。
いろいろあって、ほんの短い間だけれど、私のことを「うちの子」として接してくれた方でした。
亡き祖父の妹で、美文字を書く方であり、頭の切れる女性という印象と、躾には厳しいけれど、いつも瓶入りのシューズやサイダーをそっと差し出してくれる優しい方でした。
大叔母さんはパートタイマーでしたが、40代から20年くらい商店の経理担当をしていたので、子ども時代の私には身近な働くおばさんでした。
その分、お行儀には口うるさくて(苦笑)、私はし叱られてばかりだったけれど、大叔母さんの手を離れた途端、大叔母さんの愛情ある叱り方を思い出してばかりしました。
大叔母さんは自分の子ども2人を育てて、私に愛情深い接し方をしてくれた後、定年を迎えたご主人とゆっくり余生を送る予定でした。
ところがいろいろあって2人のやんちゃ坊主2人の孫育てが始まりました。まさか自分よりもふた周り以上若いお嫁さんが客死するだなんて考えても見なかったことでしょう。
ゆっくり余生を…なんてことはできなくなってしまい、それはもう大変な日々を送りました。
その間にもご自身の足の具合が悪くなったり。
私が最後にお会いしたのは3年前でしょうか。
会おうと思えばいつでも会えると思っているうちに疫病蔓延で会えなくなりました。
そのときに戦争で亡くなったU大叔母のすぐ上の兄、K大叔父のお話を伺いました。
孫育てに繁忙されていた大叔母にとって、ほんの短い間の「うちの子」だったた私のことは随分印象が薄れたみたいでした。
でも私には、おやつに蒸しパンを作ってくれたり、仏間に飾られた曾祖母の遺影を見ながら「なんでUおばさんの写真があるの?」と尋ねてみたり、ゆで卵の作り方を教えてくれたり、思い出がいっぱいあります。
今年の年賀状では息子さんが代筆でくださったので、もう文字を書くのも難しくなってきたのかな?施設にお住まいだから私の年賀状もご迷惑になりつつあるのかな?と思っていた次第です。
大叔母さんにとっては大したことではなかったかもしれませんが、私の子ども時代に愛情深く接していただいたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
U大叔母さん、ご冥福をお祈りいたします。