この方はテレビ局勤務ではありませんが、某番組に協力している企業の広報をされているので、ちょいちょい見切れて映っている方です。
私のご先祖様は、旧武蔵国の中ばかりで、せいぜい今の埼玉県行田市や熊谷市あたり(とは言っても江戸時代以前と思われます)に縁があるかもしれない…と言うくらいで、多分地理的に見ても長く川崎市周辺にしかルーツがありません。
職業は足軽だったことがあるかもよく分からないくらいの農民層です。
それに比べてMIFさんのご先祖様はダイナミックな動きをしています。
彼は今の佐賀県と福井県にルーツがあります。
この本では、佐賀県のルーツを探っています。
佐賀県は肥前国ですから、明治維新で「薩長土肥」の1つになります。
政府要人も生み出しますが、佐賀の役で中央政権での少し肩身の狭い思いをします。
そこで明治時代に新設された海軍に活路を見つけることで、復権していきます。
※金食い虫の海軍創設に、肥前特産の唐津焼や伊万里焼の輸出による資金が欠かせなかったともいえます。
MIFさんのご先祖様は、佐賀の役には参加しなかったらしいのですが、佐賀県から北海道に屯田兵として渡るのですが、この時の条件が破格です。
まさに蝦夷ケ島(えぞがしま、北海道のこと)は、日本最後のフロンティアだったのだと感じます。
だって入植後3年間は、何もしなくても生活保障があって、衣食住すべてが用意されている上に、支度金の支給があるのですから。
これは士族だったこと、薩長土肥の一角だったこと、佐賀の役で士族をそのままにできなかった等の諸事情を想像させられました。
募集の条件に身体が丈夫であること、と書かれているのに、MIFさんのご先祖様は病弱。
そのため開墾が遅れがちだったそうです。
以前、MIFさんのご先祖様のお墓が札幌市内にあった(今は本州に存在)と聞いたことがありましたが、MIFさんの両親は道央の出身なので私の頭の中は「?」の連続でした。
札幌、洞爺湖あたり、稚内等を行ったり来たりしながら、いつの間にか道央に落ち着いたそうです。
この本では佐賀県にも訪れたことが書かれてます。
今ではほぼその痕跡がないそうですが、地域の石碑や古文書にその痕跡を見付けたそうです。
惜しいのは、石碑が写真でしか紹介していないこと。
文字が書いてあるのに、微妙で読めない…。
拓本を取ってくだされば…と思ってしまいます。
拓本は少し練習すれば、誰でも簡単にできる技術です。
私も拓本の講習を受けているので実はお手のもの。
石材にはいろいろな種類がありますが、風化によって崩れてしまうことがあります。
本文が読めるうちに拓本を取っておかないと、いつの間にか読めなくなります。
さてダイナミックな動きをしているMIFさんのご先祖様も、子孫が神奈川県で生活しているとは思ってもいないことでしょう。
だって神奈川県は、殆どが天領か旗本・御家人の領地。
県内には小田原藩もありますが、親藩ですから全体的に幕府派なのです。
明治維新では敵だった地域ですからねぇ。
私のご先祖様と違って、MIFさんのご先祖様は紆余曲折あって興味が尽きません。
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