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この写真は大正11年の春に営まれた大会(だいえ)の模様です。
この法要は現須弥壇、宮殿がご寄付により新調されての入仏法要の
模様です。写真家山田政寛(まさひろ)さんの撮影になる貴重な写真です。
ご本尊前の礼盤上(らいばんじょう)には当時の住職慈朗法師が
七条袈裟を着して導師をつとめていることが判ります。内陣の左右
には20数人の稚児が写っています。おそらくこの時のお稚児さん
で存命者はもう居ないと思います。私(住職)の母も3年生、叔母
澄子4才で出仕していますが、二人とももう故人です。
この写真を見ますと、内陣に巻障子がまだ備付けられてなく、し
かも中柱2本が立っていないことは驚きです。
今、この写真の須弥壇、宮殿は修理、お彩色のために京都の仏具店
に運ばれています。新本堂が完成すると搬入されます。おそらく大正
11年の時と同じ輝きをもって帰ってくることでしょう。
山田政寛さん撮影の写真はまだ他にも数枚ありますのでいつかご紹介
いたします。この政寛さんの遺産で岡山地区公民館である山田会館がで
きましたからよくご存知だと思います。 住職
この法要は現須弥壇、宮殿がご寄付により新調されての入仏法要の
模様です。写真家山田政寛(まさひろ)さんの撮影になる貴重な写真です。
ご本尊前の礼盤上(らいばんじょう)には当時の住職慈朗法師が
七条袈裟を着して導師をつとめていることが判ります。内陣の左右
には20数人の稚児が写っています。おそらくこの時のお稚児さん
で存命者はもう居ないと思います。私(住職)の母も3年生、叔母
澄子4才で出仕していますが、二人とももう故人です。
この写真を見ますと、内陣に巻障子がまだ備付けられてなく、し
かも中柱2本が立っていないことは驚きです。
今、この写真の須弥壇、宮殿は修理、お彩色のために京都の仏具店
に運ばれています。新本堂が完成すると搬入されます。おそらく大正
11年の時と同じ輝きをもって帰ってくることでしょう。
山田政寛さん撮影の写真はまだ他にも数枚ありますのでいつかご紹介
いたします。この政寛さんの遺産で岡山地区公民館である山田会館がで
きましたからよくご存知だと思います。 住職