来月4月9日よりいよいよ大遠忌法要がご本山西本願寺で営まれます。当万福寺は4月14日の午後の法要に参詣することにな
っています。住職を入れて45名が今治組参拝団としてバスで上山いたします。私(住職)としては19才の折700回大遠忌に
もお参りいたしましたから2度目になります。50年の歳を重ねたことになります。何とも云えない思いがいたします。歳を重ね
るにつけ聖人の書き残して下さったご文、語り残されたご文がずっしりと重さが感じられるて来ます。
煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのことみなもってそらごと たわごと まことあることなきに ただ念仏のみぞまことにておはします。(歎異抄)
このブログへ愛知の「釈破旬」さんからコメントがしばしば送られて参りますがその中にご門主さまの「750回大遠忌につい
ての消息(メッセイジ)」に感銘することが記されています。そのご消息(メッセイジ)の一部を掲載させていただきます。(釈
破旬さんは大谷派のご縁の方です)
(前略)親鸞聖人によって開かれた浄土真宗は、あらゆる人びとが、阿弥陀如来の本願力によって、往生成仏し、この世に還って迷えるものを救うためにはたらくという教えです。南無阿弥陀仏の名号を聞信するところに往生が定まり、報恩感謝の思いから、如来のお徳を讃える称名念仏の日々を過ごさせていただくのです。
仏教の説く縁起の道理が示すように、地球上のあらゆる生物非生物は密接に繋がりを持っています。ところが今日では、人間中心の考えがいよいよ強まり、一部の人びとの利益追求が極端なまでに拡大され、世界的格差が生じ、人間のみならず、さまざまな生物の存続が危うくなっています。さらに、急激な社会の変化で、一人ひとりのいのちの根本が揺らいでいるように思われます。私たちは世の流れに惑わされ、自ら迷いの人生を送っていることを忘れがちではないでしょうか。お念仏の人生とは、阿弥陀如来のの智慧と慈悲とに照らされ包まれ、いのちあるもが敬い合い支え合って、往生浄土の道を歩むことであります。如来の智慧によって、争いの原因が人間の自己中心性にあることに気付かされ、心豊かに生きることのできる世の中、平和な世界を築くために貢献したいと思います。(以下略)
予期できないまま、知らないままに時々刻々変化し時に激変し、その度に悲哀は激高し責任を他に転嫁してはまた煩悩を逆巻か
せている私に依然として抱き続け呼び続けて下さってある弥陀の本願に帰らせていただく日々、人生であることを親鸞聖人は教え
残して下さいました。
ご縁恵まれて今回お参りが出来る方もそうでない方もどうかこのお念仏を受け継いで頂きたいと切に望みます。

卜半椿、随分以前から庭に植わっています。
っています。住職を入れて45名が今治組参拝団としてバスで上山いたします。私(住職)としては19才の折700回大遠忌に
もお参りいたしましたから2度目になります。50年の歳を重ねたことになります。何とも云えない思いがいたします。歳を重ね
るにつけ聖人の書き残して下さったご文、語り残されたご文がずっしりと重さが感じられるて来ます。
煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのことみなもってそらごと たわごと まことあることなきに ただ念仏のみぞまことにておはします。(歎異抄)
このブログへ愛知の「釈破旬」さんからコメントがしばしば送られて参りますがその中にご門主さまの「750回大遠忌につい
ての消息(メッセイジ)」に感銘することが記されています。そのご消息(メッセイジ)の一部を掲載させていただきます。(釈
破旬さんは大谷派のご縁の方です)
(前略)親鸞聖人によって開かれた浄土真宗は、あらゆる人びとが、阿弥陀如来の本願力によって、往生成仏し、この世に還って迷えるものを救うためにはたらくという教えです。南無阿弥陀仏の名号を聞信するところに往生が定まり、報恩感謝の思いから、如来のお徳を讃える称名念仏の日々を過ごさせていただくのです。
仏教の説く縁起の道理が示すように、地球上のあらゆる生物非生物は密接に繋がりを持っています。ところが今日では、人間中心の考えがいよいよ強まり、一部の人びとの利益追求が極端なまでに拡大され、世界的格差が生じ、人間のみならず、さまざまな生物の存続が危うくなっています。さらに、急激な社会の変化で、一人ひとりのいのちの根本が揺らいでいるように思われます。私たちは世の流れに惑わされ、自ら迷いの人生を送っていることを忘れがちではないでしょうか。お念仏の人生とは、阿弥陀如来のの智慧と慈悲とに照らされ包まれ、いのちあるもが敬い合い支え合って、往生浄土の道を歩むことであります。如来の智慧によって、争いの原因が人間の自己中心性にあることに気付かされ、心豊かに生きることのできる世の中、平和な世界を築くために貢献したいと思います。(以下略)
予期できないまま、知らないままに時々刻々変化し時に激変し、その度に悲哀は激高し責任を他に転嫁してはまた煩悩を逆巻か
せている私に依然として抱き続け呼び続けて下さってある弥陀の本願に帰らせていただく日々、人生であることを親鸞聖人は教え
残して下さいました。
ご縁恵まれて今回お参りが出来る方もそうでない方もどうかこのお念仏を受け継いで頂きたいと切に望みます。

卜半椿、随分以前から庭に植わっています。