万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

赤い椿が次々咲いて

2012年01月07日 | Weblog
          
           赤藪椿
                          
                           仙人 
                                                  
                                                  赤藪椿

          
           一子侘助

 毎朝冷え込んでいますが穏やかなお正月です。庭のあちこちに赤い椿が咲いてパワフルな光芒を放っています。藪椿や侘助の系統の椿をアップしておきます。
 蝋梅(ろうばい)も元旦に咲き始めたのか静かにほころんでいました。寒気の中に咲く花は逞しいですね、


        
        蝋梅

                                  
                                  白水仙

 「ほのぼのカレンダー」の一月に東井義雄先生の詩句、
 
    生きているということを
      ねうちあるものにしなければ
 と、         
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1月の法語

2012年01月05日 | Weblog


 1月の法語はお正信偈29句目「摂取心光常照護」のご文が書き下されています。

  摂取(せっしゅ)の心光(しんこう)つねに照護(しょうご)したもう

 この句に続く句をあげてみますと、

 摂取心光常照護 已能雖破無明闇 摂取の心光つねに照護したもう。已によく無明の闇を破すといへども
 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 貪愛(とんない)瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむ)、つねに真実信心の天に覆へり。
 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。
                                           (注釈版『浄土真宗聖典』p203)
 いろいろな縁に触れては涙し、時として激怒し、様々な煩悩に振り回されてまたまた無明の闇に陥ったようになりますけれど、その私がお念仏にもようされて行くことは最早無明の中ではなかったのです。厚く雲や霧に包まれていても太陽が出ている限りその下は暗闇ではないのと同じように信心のはたらきによる心の状態は無明ではないのです。いつもすっきり晴れわたらないのは自らの煩悩の雲霧の所為であると自悔すべきことと云えます。

 数年前から当山の若院がお正信偈の現代語による意訳を試みていますが、この一群の詩偈の訓みと解釈には随分と難渋すると話していましたが、どうにか越えられたようです。今年中には本となって出版される予定のようです。大人向けの絵本と云う体裁をとっています。楽しみにしていて下さい。  
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百人一首

2012年01月04日 | Weblog
               
                かるた取り                             

 1/3 夕刻近くに坂出市から恵真夫婦が新年の挨拶にやって来ました。それより遅れて広島から弥子(みつこ)が3人の孫と車でやって来ました。夕食は総勢10人となり大賑わいとなりました。1年経つと孫たちの様子も驚くほどに成長しています。
 百人一首をして大人と競うようになりました。中学1年生の長女は吹奏楽部でトロンボーンを吹いていて練習を聞かせてくれました。トロンボーンは旋律部ではありませんからあまり面白味のあるものではありませんが・・・、
 三が日もアッと云う間に過ぎて今日はもう4日、あちこちに駐車していた帰郷の車も見えなくなりました。再び静かな空気に包まれています。


トロンボーンを吹く樹南(みきな)
                                    
                                    
                           
  
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今年の法語カレンダー

2012年01月03日 | Weblog
                        
                        表 紙

 昨年の春からご本山では宗祖親鸞聖人の750回大遠忌法要が厳修されて参りましたが、いよいよi/9~1/16
のご正当法要でご満座になります。私小職は11日の午前10時からの日中法要に出勤させていただく予定にしております。京都の厳しい寒気に身を置いてご在世の頃を、またご往生の時を偲ばさせて頂こうと思っております。このご正当法要は自由参拝ですのでどなたでもお参りができますので近在の方はご縁に会ってください。

 今年のカレンダーの法語も親鸞聖人のご撰述の中から13の法語が選ばれています。画像は表紙に掲げられています法語、

    如来大悲の恩をしり
      称名念仏はげむべし

 このお言葉は聖人が85歳の頃に撰述された『正像末和讃』58首に添えて制作されている「誡疑讃」23首の7首目の和讃のご文です。その和讃は
    
    信心の人におとらじと
     疑心自力の行者も
     如来大悲の恩をしり
     称名念仏はげむべし

 「誡疑讃」を何故制作し添えられたかについて23首に続いて次のように添え書きをされています。

 「以上二十三首、仏不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがををしらせんとあらわせるなり。」と述べられています。ただいたずらに称名念仏のみに明け暮れてそこに止まるのではなくて、大切なことはお名号のおいわれに、お心に耳を傾けていかなければなりません。お聞かせにあずかることがそのまま弥陀の御はたらきの中にあったと知れることですから、先ずお聞かせにあずかることを心にかけさせていただきましょう。と懇切に懇切にお解き下さっているご和讃であります。
 称名念仏のみで終わる人生はどうしても称えた念仏に固執して、矢張り称えた私の我が固まり本当のものが見えなくなり味わえなくなってしまいます。そのような点を聖人は厳しく導いて下さっているご和讃が「誡疑讃」であると受け取らせていただいております。


                      
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新年を迎えました

2012年01月01日 | Weblog
                        
                        辰歳の新年、手水舎の龍吐水。
                        焚き火をたいて参詣者を待ちます。

                                        
                                        除夜の鐘撞き始め(クリック)   


 大晦日から元旦へと静かに明けました。
 AM0:15分より修正会(しゅしょうえ)をお勤めいたしました。正信偈をお参りの皆さんで声高らかにお唱えいたしました。続いて住職が法話、歎異抄の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのことみなもってそら言、たわ言、まことあること無きに、ただ念仏のみぞまことにおわします」を中心にお話をさせていただきました。如来さまの大慈悲は「そらごとやたわごとの世界に苦しみもがき悲嘆に暮れる私どもを抱き続けて下さってある。涙して下さり私の人生の歩みに常に寄り添っていてくださることをお話いたしました。如来さまのお心は去年も今年も変わることはないのです。

 本年もどうか宜しくお願い申し上げます。仏地の大地の上でいのちのいとなみをさせていただきます。
    
       
       寒さの中に咲く「一子侘助」(いちこわびすけ)


                               
                               西王母椿
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