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表 紙
昨年の春からご本山では宗祖親鸞聖人の750回大遠忌法要が厳修されて参りましたが、いよいよi/9~1/16
のご正当法要でご満座になります。私小職は11日の午前10時からの日中法要に出勤させていただく予定にしております。京都の厳しい寒気に身を置いてご在世の頃を、またご往生の時を偲ばさせて頂こうと思っております。このご正当法要は自由参拝ですのでどなたでもお参りができますので近在の方はご縁に会ってください。
今年のカレンダーの法語も親鸞聖人のご撰述の中から13の法語が選ばれています。画像は表紙に掲げられています法語、
如来大悲の恩をしり
称名念仏はげむべし
このお言葉は聖人が85歳の頃に撰述された『正像末和讃』58首に添えて制作されている「誡疑讃」23首の7首目の和讃のご文です。その和讃は
信心の人におとらじと
疑心自力の行者も
如来大悲の恩をしり
称名念仏はげむべし
「誡疑讃」を何故制作し添えられたかについて23首に続いて次のように添え書きをされています。
「以上二十三首、仏不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがををしらせんとあらわせるなり。」と述べられています。ただいたずらに称名念仏のみに明け暮れてそこに止まるのではなくて、大切なことはお名号のおいわれに、お心に耳を傾けていかなければなりません。お聞かせにあずかることがそのまま弥陀の御はたらきの中にあったと知れることですから、先ずお聞かせにあずかることを心にかけさせていただきましょう。と懇切に懇切にお解き下さっているご和讃であります。
称名念仏のみで終わる人生はどうしても称えた念仏に固執して、矢張り称えた私の我が固まり本当のものが見えなくなり味わえなくなってしまいます。そのような点を聖人は厳しく導いて下さっているご和讃が「誡疑讃」であると受け取らせていただいております。