数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

小林秀雄

2024-02-21 16:41:46 | 日記
 前回「久しぶりの小説」を書きましたが,私の読書習慣の始まりは,中学3年からでした.それまで本を読む習慣がなく,暇な時間は小学校ではソフトボール,中学では卓球ばかりで,ともにレギュラーで中心選手であったので,練習や試合ばかりで,落ち着いて本を読むこともなく過ごしていました.
 中学3年になって,地元の公立中学から三重大学教育学部付属中学に転向して,バスと近鉄電車を乗り継いて2時間近くの通学でしたが,たまたま松阪駅から近鉄で津までの車内で,一緒の通学していたK君が電車の車内で本を読んでいるのを見て,暇つぶしに自分も読んでみようかと思ったのがその始まりです.振り返ってみると,バスの30分,近鉄の30分の乗車時間は時間的にもうってつけの読書タイムです.眠くなったら寝ればいいし,30分くらいなら集中力ももつかなと考えたりしました.結果的に,ここでの読書習慣がその後の自分の読書にも大きく影響を与えることになります.そのことについては,またの機会に書きたいと思います.
 最初に読んだのは,転校した中学の国語の時間の影響が強く,何故か小説ではなく,随筆や評論が中心でした.それは,授業では教科書はあまり使わずに先生が刷ってきたプリントの文章を読むもので,高校よりもレベルが高かったと今でも思っています.その授業は小林秀雄の評論や亀井勝一郎の随筆や短歌に関しては,学燈文庫の現代短歌を使ってのものでした.内容に関しては,印象的で,それまでの国語の授業とも違って,自分的には興味を覚えていましたが,その先生がどうも依怙贔屓をするような態度で,幼心に反発心が少しありました.
 前回のように,久しぶりの小説を読んだら,当時のことを思い出し,評論と言えば当時は小林秀雄が一番に浮かんできたので,今回手に取ってみたのは,

 当時は大学入試でもよく出題された小林秀雄ですが,中学3年生では難しいのでしょうが,何もわからないまま,プリントを読まされていたように思いますが,中学3年生の自分には教科的に一番難しく感じたのが国語でした.今回読んでみると,非常にすっきりとした文章で,よく推敲されている印象が強く感じられます.小林秀雄はたとえ講演であっても,それを推敲してから出版許可をするということらしく,講演でも読みやすいのが特徴です.この本を読んで小林秀雄を改めて教えてもらった気がしました.
 以前,数学者の岡潔との対談を読んだ記憶もあり,自然科学への意識が強く感じられる文章が目につくのも特徴で,昔読んだ評論も読んでみたくなりましたが,はやり,小林秀雄の晩年の代表作の「本居宣長」がじっくり読んでみたい本です.
少し読み始めると,私の住んでいる松阪の記述も多く,急に本居宣長の奥墓に行ってみようと思い立ちました.
 実は本居宣長の奥墓のある妙楽寺は位置的に私の住んでいる集落からはちょうど山の裏側に当たります.まだ鉄道もバスもなかった私の祖父の時代は徒歩で松阪市内まで行くというので,その当時の道が,微かに残っています.私の住んでいる集落は御麻生薗(みおうぞの)町という名前で,その由来は,伊勢神宮に奉納する麻を作っていたことかららしいです.実際に上記の妙楽寺の近くには,

こんな標識も立っています.読み方は「みおうぞの」→「みおぞの」と発音することが多いので,このようになっていますが,漢字からすると始めの読み方になるかと思います.私の祖父は小学校を上がって,その後市内で英語を習うために,この道を歩いて松阪城の近くまで通ったと聞いていました.片道15km程はあると思われます.私が小学校の6年生のとき,先生から遠足で本居宣長の奥墓に行きたいので,道の下調べをお願いされたことがありましたが,当時でもすでにその道ははっきりわからなくなっていて,道に迷ってしまった思い出があります.最近は少し草を刈ったりして,ハイキングができると聞いているので,今度行ってみようかと思っています.
 今回は,車で,市内から奥墓のある妙楽寺へ行きました.駐車場の車を止めて,階段を100mほど上がると,

妙楽寺の境内に到着できます.今は本殿を修理中ですね.本居宣長はその遺言で,自分の墓は妙楽寺へと書き残していて,その墓を奥墓と言って,この境内からさらに急な山道を100mほど登って行ったところにあります.

谷の深い山道をゆっくり上り下りしながらも,静かで山の音が聞こえる感じの落ち着いた雰囲気に何とも言えない心の落ち着きを覚えました.そういえば,梶井基次郎の「城のある町」も松阪がその舞台でしたね.そんな身近な地元の町の歴史文化もゆっくり味わっていける時間を大事にしたいと感じた一時です.