128の4『岡山の今昔』玉野市
玉野市は、岡山県の南端、児島半島の付け根にある、玉野港を玄関として発達した臨海工業都市だ。市域はやや東西に細長く、海岸部には花崗岩質の山麓が連なる。
ぐるっとの海岸線は相当に複雑にして、そのあたりの平地は多くない。近年は、海岸部の埋立造成地を中心に、岡山や倉敷に通う人びとの住むベッドタウンがひろがる。
現在の人口は約6万3千人だが、かつての高度成長期のような「企業城下町」のような賑わいは感じにくい。それでも、かつての基幹産業である造船業、鉱業などは息を吐いており、観光業などの新しい産業も育ってきているという。第一次産業でも、かねてからの農業に加え、地域住民のアイデアで特色ある加工品が登場し「お宝たまの印」としての玉野ブランドを認定しているとのことであり、頼もしい。
交通ということでは、国道30、430号を骨格として、体系的な道路網が形成されているというし、鉄道ではJR宇野線が走り、バスでは路線バスが運行され、市内の要所を結び、さらに地域間交流促進を目的にコミュニティバスも運行されてもいると聞く。
それが今、人びとの耳目を集める、次のようなニュースが伝わる。
「宇高航路(玉野市・宇野港―高松港)を唯一運航する四国急行フェリー(高松市)は11日、12月16日からの航路休止届を国土交通省四国運輸局に提出した。同運輸局は受理した。宇高航路は1910(明治43)年に国鉄連絡船が就航して以来、本州と四国を結ぶ主要航路だったが、109年で歴史を閉じる。瀬戸大橋との競合などで業績が悪化し、維持が困難になった。(中略)
同社によると、2014年の瀬戸大橋料金水準引き下げなどの影響でフェリー離れが加速。利用者が少ない夜間・早朝便の廃止などコスト削減を進めたが、岡山、香川県と玉野、高松市から補助金を受けても収支が改善しなかったという。
同航路にはグループ会社が1956年に参入。四国急行フェリーに移管された2013年度は1日22往復し、年間約43万人が利用した。減便を重ね、18年度は5往復、約14万人にまで落ち込んでいた。
宇高航路は瀬戸大橋開通直後は3社が運航していたが、12年までに2社が撤退していた。(2019年11月11日付け山陽新聞デジタル版)
さて、ここでの農業での話を一つ、紹介しよう。岡山市の灘崎町と玉野市の一部を指して備南地区と呼んでいて、このあたりの大方は、児島湾の干拓地でできている。ここで生産される千両ナスは、農家の大事な収入源だ。このナスの特徴としては、包丁を入れると、濃い紫色の切り口が出るのだ。この一帯が干拓地であるため、土壌は粘土質で粘り気とミネラル分を多く含んでいる。なので、モチモチ感があって美味しいとの評判とのこと。これが当たって、急速に作付け面積が拡大してきたらしい。
(続く)
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