232の12『岡山の今昔』岡山人(20世紀、林原一郎)
林原一郎 (はやしばらいちろう、1908~1961) は、実業家である。しかも、美術品な収集家の顔を併せ持つ、個性派であった。大阪商大を卒業する。
林原一郎 (はやしばらいちろう、1908~1961) は、実業家である。しかも、美術品な収集家の顔を併せ持つ、個性派であった。大阪商大を卒業する。
林原家は、1632年(寛永9年)から 岡山で米を扱う御用商人として羽振りがよかった。 1883年(明治16年)には、その財を元に初代の林原克太郎が林原商店を創業する。 水飴製造を始める。
やがての1934年(昭和9年)、一郎は、家業の林原商店をつぐ。戦後は、カバヤキャラメルなどの菓子や牛乳の製造販売で林原グループの基礎をきずく。やかて、食品以外にも、ホテルや製紙、印刷から運輸、さらに観光、不動産なども手掛けるという複合経営を行う。
1959年(34年)には、酵素によるブドウ糖製造法を開発する。あれやこれやで、巨万の富を築く。その彼が52歳をもって他界し、息子の健氏が四代目となってからの1961年(昭和36年)に財団を設立する。続く1963年にコルビジェの弟子・前川国男の設計で工事に着手する。
そして迎えた1964年(昭和39年)に施設が完成。同年10月、旧藩主池田家当主宣政の協力を得て、岡山市丸の内に岡山美術館として開館する。
1959年(34年)には、酵素によるブドウ糖製造法を開発する。あれやこれやで、巨万の富を築く。その彼が52歳をもって他界し、息子の健氏が四代目となってからの1961年(昭和36年)に財団を設立する。続く1963年にコルビジェの弟子・前川国男の設計で工事に着手する。
そして迎えた1964年(昭和39年)に施設が完成。同年10月、旧藩主池田家当主宣政の協力を得て、岡山市丸の内に岡山美術館として開館する。
所蔵するのは、刀剣や武具を中心に、絵画、書跡、能装束、工芸品、それに陶磁器など約 4000点であり、一郎が事業の傍ら集めたものだという。なかでも、卓越した審美眼で、藩主池田家の蒐集品以外にも優れた作品を精力的に手に入れていったという。
それにしても、儲けを目的とする事業の他に、かれを駆り立てたものは、何であったのだろうか。その後の岡山県立美術館設立があり、1986年9月に林原美術館と改称し、今日に至る。
それにしても、儲けを目的とする事業の他に、かれを駆り立てたものは、何であったのだろうか。その後の岡山県立美術館設立があり、1986年9月に林原美術館と改称し、今日に至る。
(続く)
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