MARVIE’S

思い出の音楽と趣味の生活

「白夜を旅する人々」三浦哲郎

2021年11月16日 | 読書

最近の私は物つくりをほとんどしていない。
時々、以前作ったスピーカーのネットワークの改造を時々思い出したように行ってるくらいだ。
今の私の一日は主にウォーキング、以前のようにあまり長く歩くことはなく、せいぜい7000歩から8000歩くらい、まれに9000歩を超える時もあるが全般的にあまり無理しないことにしている。
たまには自転車を持ち出して少し遠くに出かけたりもするが、日一日寒くなると自転車もそろそろおしまいになる。
あとの時間は音楽鑑賞か読書、今までいろんな人の本を読んできたが、現在は三浦哲郎を主に読んでいる。
八戸出身ということもあり、東北に馴染みのある題材が多く特に関心がもてる。
私がまだ若い頃、出張で金田一温泉に泊まるのはいつも「きたぐに旅館」だった。この旅館の名付け親は三浦哲郎だということを後で知ってびっくりした。
今思えば、たしか、三浦哲郎ゆかりの里と旅館のどこかに書いてがあったのを思いだされる。
三浦の父親の実家が岩手のこの金田一温泉近くの湯田というところらしく、戦後は両親と姉きみ子さんは父親の実家に戻り最終的にとなりの一戸町に住むことになる。
 三浦の本はもう大分読んでいるが、一番衝撃的だったのが「白夜を旅する人々」だ。この小説は三浦の半自伝小説で家族の生涯の物語である。
6人兄弟のうち、二番目の姉である貞子さんが19歳で青函連絡船で投身自殺で亡くなる。
(私のいとこで一つ上の女性も北海道まで行って投身自殺をしているので身につまされる感じだ。
今思うと、津軽海峡で死ねなくて北海道まで死に場所を探していったのだろう、と今になって思っている。
これをきっかけに先日、何十年ぶりかで墓参りしてきた。墓には28歳と彫ってあった。)

次に一番上の姉である縫さんが睡眠薬で続けて服毒自殺をはかる。
そして、又二人の兄も失踪して死んだものか、生きているのかもしれないらしい。
結局、のこったのは一番下の姉きみ子さんと三浦哲郎だけが残ったのだ。
いつしか三浦はこの悲劇的な兄弟を書かなければならないと思うようになり、残された自分の使命だと思うようになった。
長女の縫さんと三女のきみ子さんは色素欠乏症、俗にいう「しろっこ」で誕生してしまったのが、この二人の運命を変えてしまったのだ。
二女の貞子さんは非常に美しい人で成績も優秀だった。しかし運悪く東京での師範学校入学試験に失敗してしまう。
直接自殺の原因ではないだろうが、多分になんらかの影響にはなったのではないかと考えられる。
三女のきみ子さんは幼いころから琴を学び、晩年まで琴の師匠として多くの弟子を持ち89歳まで生きている。
きみ子さんが亡くなってまもなくしてあとを追うように、三浦も東京で79歳で亡くなり同じ岩手の一戸町のお寺に埋葬されている。
いずれ、この「白夜を旅する人々」は非常に衝撃的であった。
三浦哲郎の本は兄弟愛、家族愛、にあふれた本が多く、今は毎日楽しく読み続けている。
購入した本も数冊あるが、もっぱらあっちこっちの図書館から借りて読んでいる。


二十歳の原点 高野悦子とクローニンの天国の鍵

2019年06月27日 | 読書

最近は作る物もなくなってきたので読書を中心として、あとはギターを弾いたり音楽を聴いたりの毎日が続いている。

もちろん、自転車は毎日欠かさず10キロ以上は走っている。

先日は雨にうたれたので今は雨具も準備するようになった。

今読んでる本はクローニン全集、20代のころ、どうゆうわけか2冊購入していて、時々読み直しなどしていたが、最近になって図書館(隣町)に全集があることを知り読み始めて20巻のうちもう10巻ほど読んでいる。

クローニンの感動的な本を再認識いている次第だ。

外国の本でこれほど感動的な本は私はしらない。(ほんとはたくさん他にもあるのだろうけど)

特にアメリカではなんどもベストセラーになっているらしい。

話は横道にそれたが、先日の24日は「二十歳の原点」の高野悦子さんの命日であることを知った。

昭和44年6月24日深夜二時半ころ鉄道自殺をしていた。

生きていれば私と同じ70歳とのことらしいので、興味をもたずにいられなかった。

この本を読む前にクローニンの天国の鍵を読み終えたところで、その中で、やはり高野さんと同世代の若い女性(ノラ)が鉄道自殺しているシーンがあった。

どちらもそれなりの原因があると思うが私には小説の中ではあるがノラの心情のほうがわかる感じがした。

高野さんの場合、あまりにもったいない。今から50年前、20歳の若さでなぜ死ななければならなかったのか、考えずにいられない。

私自身、親友を自死で失っている。

私がそばにいればそんなことにはならなかったのではないかと、今でも思っている。

そんなわけで、クローニンを読むのをちょっと休んでこの本を借りて読んでみたのです。

 中学二年ころから宇都宮女子高校三年(二十歳の原点ノート)からなくなる立命館大学三年、二日前までの日記(二十歳の原点)がこの本につづられている。

    

                                                                      

 

 

 


戦場のピアニスト

2019年03月27日 | 読書

 図書館から借りてこの本を読んだのだが、これはあくまでも小説でそれが映画化されたものと思っていたのだが、戦後まもなく本人が書いた実話だった。

元の題名は1998年に「ある都市の死」という題でドイツで出版され話題になり映画まで作られることになったようです。

シュピルマンさんは戦後ピアニストとして復活し2000年の7月まで88歳まで生きたということです。

尚、戦後まもなく結婚して生まれた長男であるクリストファーさんは日本人と結婚して九州大学、北九州私立大学等歴任しており「シュピルマンの時計」という本も出版しています。

彼を救ったドイツ人ホーゼンフェルト大尉はスターリングラード戦犯捕虜収容所でスターリンの死の前年に精神がボロボロになって亡くなったそうです。

大尉の前で演奏したのはショパン、ノクターン嬰ハ短調です。

From "The Pianist": Chopin Nocturne C sharp minor (Arjen Seinen).


読書の冬

2018年03月01日 | 読書

冬の間はやることが限られてしまう。

この時期でも自転車小屋でいろんなものを作っているが、狭いしストーブも置いてないので作業も限度がある。

この時期はやはり読書が中心になってしまうようだ。

今読んでいるのは20巻ある三浦綾子全集、その中で、「泥流」と「海嶺」が心に残った。

泥流は大正から昭和のかけて北海道の開拓農家の生活を描いたものだが、この時期に十勝岳噴火があった事実を元にしてかかれたものだ。

この本の最後のシーンはなんともいえず良かった。

これからも手元に置いておきたいと思い、その後、ネットで文庫本を買った。

昨日読み終わった海嶺は事実に基づいた千石船の遭難を書いた長編小説だが、これは読み終わったあとなんともくやしいというか、彼らの無念さが伝わって来た。

なにしろ、今の愛知県熱田から1年2カ月も太平洋を漂流してアメリカ西海岸(今のワシントン州)にかろうじて漂着し、その時は14人いた乗組員うち3人しか残っていなかったのだ。

その後、善意の人々に助けられアメリカを経ちイギリスへより船を代えて大西洋、インド洋を経てマカオに到着、やっと日本に近づいたもののなかなか出航できず、遭難から6年もの月日が経っていたのだ。

そして、やっと日本に向かうことができ途中で合流した4人(彼らも遭難者)と数年ぶりに日本の景色を見ることができた。

もう、家族と会えると感激して気もそぞろ、しかし、迎えたのは大砲だったのだ。

なんとか、のがれてが、船長(アメリカ人)も諦めきれず、今度は鹿児島に向かったがここでも一斉に大砲で攻撃されこのままでは船が破壊されると思い、やむなく又マカオに帰るしかなかったのだ。

結局、彼らは二度と日本の地を踏むことなく現地等で一生を終えることになる。

読み終わって、なんともやりきれない気持ちがのこった。

 

二つで200円でした


水上勉の小説

2016年12月22日 | 読書

こうして毎日が寒く雪の日が多くなるとやることが限られてくる。

外仕事ができないので、どうしても部屋の中にいることが多い。

ギターを弾くか、音楽を聴くか、本を読むか、はたまたパソコンの前かのいずれかだ。

外ではウォーキングくらいしかない。

冬の間はできるだけ本を読もうと思って深沢七郎を読み始めたが、なんとなく読む気がしなくなり今は水上勉の本を読んでいる。

水上勉の小説といえば、昔「飢餓海峡」という本を読んで、松本清張を思わせる推理ものというイメージがあったので、いつか彼の本を読んでみたいと思っていた。

まず最初の読んだのが「その橋まで」その後、「雁の寺」「五番町夕霧楼」「越前竹人形」やもろもろの短編小説、「その橋まで」は仮出所した青年のちょっとした推理ものだったが、それ以降は悲劇的なものが多い。

「五番町夕霧楼」は映画化されて知ってはいたが、一度も映画は見ていないしあらすじもまったくわからなかった。

主人公、夕子の哀れな生涯と学生の身の上は久しぶりに涙をさそう。

「越前竹人形」も映画化や舞台化されていたことを知った。

いずれにしても最後は悲劇的な終わり方が多い。

なるほど、映画にしたくなる気持ちもわかる気がする。

 

 

 


深沢七郎というギタリスト、作家

2016年11月25日 | 読書

私がまだずっと若いころ、われらの文学という全集を購入したことがあったが、大半を売ってしまいどうゆうわけか三冊だけ残っている。

その中に深沢七郎があった。

今になってこの人の本を読んでみて「楢山節考」の作者であることを初めて知った。

一言でいうと、今ふうの都会的な洗練された雰囲気とはまったく反対の土の香りのする作家である。

どちらかというと、貧しい大衆に目を向けている内容が多い感じがする。

興味深いことに彼はギタリストでもあるのだ。

レパートリーは幅広くクラシックからロックまで弾くらしい。

又、普段のお気に入りはエルヴィス・プレスリーだそうだ。

波乱に満ちた彼の生き方には興味を覚える。

日劇に出たり、行商したり、おまけに今川焼やの店まで経験しているのだ。

図書館に全集があったので、しばらくはこの深沢七郎を読もうと思っている。

と、思ったが短編ものが主でなんか飽きてしまった。

 

最近はなぜか、三浦綾子の「積み木の箱」や立原正明の「冬の旅」など、昔の本ばかり・・・・

 

ギターを弾く深沢七郎

 

 

 

 


長英逃亡 吉村昭

2014年06月12日 | 読書

吉村昭氏の長英逃亡を読んだばかりなので、人名とか忘れないうちにと高野長英記念館に行ってきました。

記念館といっても展示してあるのはほとんどが文書ですが、長英は文筆家であったことも窺えます。

中には7メートルにも及ぶ巻物を故郷に送った手紙もありました。

これは三番目の師である吉田長淑の蘭学を学ぶものは漢学も学ばなければならない、という教えも影響してるのではと思います。

因みに長英の長は吉田長淑から頂戴しいているし、英は先輩、小関三英から頂いています。

長英は元々幼名、後藤悦三郎(のちに郷斎)といい、父親を早く亡くし母方の実家である高野家に養子となっています。

高野家は由緒ある家系で、元はといえば上杉謙信の家臣であったらしく、義父は水沢公の御典医を勤めていました。

今でも水沢には高野病院として残っています。そういえば、同級生に高野K(女性)さんがいました。確かやはり医者になったのでは・・と思います。

子供の頃はいつも長英は郷土の偉大な人物と教えられてきましたが、今になって少しでも長英のことを知ると確かにすごい人物だと思うようになりました。

 

全国を逃げ回った壮絶な手に汗握る逃亡記、吉村昭のこの本は緊迫した状況を克明に描きだしています。

この人の本は現場を丹念に自分の足で歩いて取材する人なので、読んでいくうちにその場に引き込まれていく感じがします。

昔、テレビで「逃亡者」というアメリカの番組がありましたがが、それはそれでおもしろかったが、やはり、事実の逃亡記はより以上に緊迫感があります。

それにしても、当時の幕府はあきれるほど執念深い執拗な捜索です。

今の警察となんら変わらない、もしかするとそれ以上かも。

 

 

 

 


原作と映画 

2013年12月01日 | 読書

幼いころから何となくテレビ、ラジオ(?)などで見聞きしていた「次郎物語」を今になって読んでみた。

当初、この物語は児童文学と思っていたのだが、こうして原作を読んでみるとそれだけでないことがわかった。

いつのまにか、次郎の世界に引き込まれていき、自分の少年時代と照らし合わせたりもした。

1955年には映画も作られたらしいが、当然私はまだ小さかったしその後も映画は一度も見ることがなかった。

テレビでもやってたらしいが、池田秀一が演じたことは記憶があるがあらすじ等はほとんどわからなかった。

この物語は映画で見るより本を読んでみる方が何倍か作者の考えを理解することができるのではないかと思う。

でも、機会があれば映画も見たい気がするがDVDなどはあるのだろうか?

1部から5部までの大河小説であるが6部を前に途中で終わったのは残念だ。

理由は別にして「路傍の石」と同じパターンである。

映画が原作を超えられないのはいくつかあるが、その中で新田次郎の「八甲田山死の彷徨」が一番思い当たる。

極限の過酷な冬山の状態を映画で表わすには所詮無理があったと思う。

外国映画ではあまりよくわからないが「武器よさらば」もやはり映画の方が期待外れだった。

逆に原作より映画の方が何倍か感動するものがある。敢えて一つあげると松本清張の「砂の器」だ。

この映画が推理小説であることを知ったのは後のことであり、ただ親子の情の物語として涙を流したものである。

それに又、映画音楽がこの物語を盛り上げていた。

何年かしてこの本を読んでみたが、単なる推理小説で感動とかはまったくなかった。

こうしてみると、映画は映画で素晴らしいが本の魅力はなんとも捨て難い。

 


秋の夜長は読書でも

2013年11月21日 | 読書

秋といっても寒さは冬、日差しがあればなんとか外にいられるが、今日のようなみぞれ交じりの雨が降ったりやんだりではどうしても家の中ですごしてしまう。

月2回のハローワークもいつもは自転車で行くのだが、今日は無理をせず車で行ってきた。

午後はいつもの自由時間、腕、肩、首とあっちこっち痛くてギターの練習もお休み。

最近は音楽を聴くより本を読むことが多くなった。

ここ何年かは剣豪時代小説に夢中になり大概の本は読んでしまった。

ベストセラーは読むということはまったくなく、時代錯誤の本ばかり読んでいる。

ここにきて、昔子供のころおぼろげながら知った本や本棚に埋もれてた本を読むようになった。

今日はポプラ社文庫の「野菊の墓」を読んでみた。

悲恋ものがたりであるが、読んだあとなぜか爽やかなすがすがしい気持ちになった。

しかし、政夫の写真と手紙をこっそりと胸に抱いて亡くなった場面や回想シーンは涙を誘ってしまう。

 

 


壬生義士伝を読んで

2013年04月17日 | 読書

最近読んだ本で壬生義士伝があります。

貧しさの為、妻子をおいて脱藩し最終的に新鮮組に入隊し故郷の妻子に仕送りを

続けた男、元盛岡藩、吉村貫一郎。

銭に汚いやつと蔑まられながら、満足な着るものも身に着けることもなく、又、非番において

も同僚といっしょに憂さを晴らすわけでもなく、ただひたすら仕事に徹した。

殺伐とした新撰組のなかにあって、誰にでも優しく、特に子ども、自分より下の者には

慕われた。

それが逆に仲間からは疎まれたこともあった。

しかし、吉村貫一朗は優しさだけではなく、沖田総司、永倉新八、斉藤一と並ぶ指南役

であり、北辰一刀流の免許皆伝でもあった。

家族のために人を斬る、死にたくないから人を斬る。

いつか、妻子に逢えるのを夢みながら・・・・しかし、二度と故郷の岩手山を見ることはできなかった。

涙なくして読めぬ本でした。