私の担当ではありませんが、我が家の庭では春になるといろんな花が咲きます。
その中でバラは一番華やかで、種類も家の中では一番多いようです。
個人的には咲き始めの頃が一番好きですね。
バラが咲き始めています
私の担当ではありませんが、我が家の庭では春になるといろんな花が咲きます。
その中でバラは一番華やかで、種類も家の中では一番多いようです。
個人的には咲き始めの頃が一番好きですね。
バラが咲き始めています
この歳になるまでいろんな車に乗ってきました。
それぞれ忘れられない思い出があります。
若いときはやはり俗にいうスポーツカーが多かった様な気がします。
その中で、走りに対して一番の強烈な記憶はサニー1200GXです。
初めて乗った時、軽くアクセルを踏んだだけで飛び出すように発進した加速。
まもなく、知り合いからGXセダンを手に入れることになりました。
初めて、北海道を一周したのもこの車、その時の燃費は確かリッター18キロでした。
とにかく、軽いボデーとふけ上がりのよいエンジン、今だにこの車は忘れられません。
どうゆうわけか、私が乗っていたサニーGXの写真は一枚もありません。
車が大好きだったあの頃、昔にもどりた~い。
下記の写真はクーペですが私が乗っていたのはセダンでした。
今日、一関の町の中に現れた親子クマのこどもが射殺されました。
以前、盛岡でも小熊が射殺されたことがあります。
水沢では親子共々射殺されました。
岩手県には麻酔銃というものはないのだろうか・・・
他県では麻酔銃で眠らせ山に帰したという話をよく聞きます。
岩手県はクマがまだ多く生息しており、もっとクマ対策を充実する必要があるのではないでしようか。
クマが現れたら射殺するではあまりに短絡的です。
アメリカではあのグリズリーですら、麻酔銃を使い森に帰しています。
確かに、森に帰すということは大変な作業です。
でも、クマの親子だって生きる権利があります。
まちがって、町に来てしまったからといって簡単に殺されてはたまりません。
動物に優しくない国民は弱者の人間にも優しくありません。
今日のニュースはとても残念でたまりませんでした。
私の散歩コースに高速道路の側道があります。
以前よりタラの芽がないかな・・と思っていましたが、やはり、ありました。
でも柵内には入れません。
なんとか手が届く範囲以内でわずかですが採ることができました。
高い所にはまだたくさんありましたが、高枝はさみでないと無理です。
でも高枝鋏は目立ちすぎます。
そこで、考えたのがカメラの三脚の利用です。
これならザックの中にしまえます。
そこで使わない三脚を分解改造してタラの芽採りの器具を作りました。
高枝鋏のようにはいきませんが、ちょっと高い枝を引き寄せるにはとても便利です。
しまう時は40センチくらいになるのでザックにも入ります。
最長で160センチになり、来年はこれでタラの芽採りです。
こんなヒマなことをやっているのは私だけだろうか・・・・
遠くの山に行かなくとも近くでこれだけ採れました
下のアダプターは長くしたい時に使用。
最大で160センチまで伸びます
先の金具を簡素化して長さをちょっと短くしました
普段はアダプターを使わないでこの長さで使用する事にしました。
20代の若かった頃、好きだった音楽は、フォークソング、JAZZ、映画音楽等、(後になってイージー・リスニングと呼ばれた)クラシック。
今もその頃買ったLPレコードが残っています。
でも、会社の宴会などでよく唄ったのは、神部一郎、井上ひろし、鶴田浩二など、その頃はまだカラオケはありませんでした。
どうゆうわけか、酒を飲んで唄うときは、フォークではなくいつも歌謡曲(のちに演歌)。
小さいころから神部一郎が好きで、子供のくせに大人の唄をうたっていました(唱歌以外ではそれしかなかった)。
私は昔から声が低かったので、低音の歌手が歌いやすかったのかもしれません。
そして、カラオケ全盛期になり私の十八番は柳ヶ瀬ブルースになりました。
この曲は何度歌ったかわかりません。
この伴奏が流れるとネオン街をさまよっていた(?)あの頃の自分が思いだされます。
そんな中で、洋もので歌えたのは、ブルー・ハワイ、思い出のサンフランシスコです。
今では唄うことはほとんど無くなってしまいました。
昨日、友人と月例会(?)を行なったとき、とても珍しい古い写真を持ってきました。
今から40年以上の私の愛車が写っている写真です。
私は自分が乗っていた車の写真はほとんどなかったので、とても懐かしい。
特に、このグリーンのサニー・クーペはいろんな所へ出かけたので一番思い出深い。
そのころ、仲良し三人組で私だけが車を持っていたので、いろんなとこへ二人を乗せて走ったものです。
もう一枚の写真には今は亡き一番の親友だった男も写っていました。
この友人の写真は学校のアルバム以外一枚も無かったのでとてもうれしかった。
この下の写真は私が撮ったもので友人だけが写っていました。
ナンバーがなんとも古さを感じます。
この場所は高田松原らしく、後ろは海、あんなにいっぱいあった松の木も今では一本しかなくなった。
十和田湖へ行ったときの写真。
後ろで横を向いているのが今は亡き友人、私は右で、服装がやぼったい。