吉村昭氏の長英逃亡を読んだばかりなので、人名とか忘れないうちにと高野長英記念館に行ってきました。
記念館といっても展示してあるのはほとんどが文書ですが、長英は文筆家であったことも窺えます。
中には7メートルにも及ぶ巻物を故郷に送った手紙もありました。
これは三番目の師である吉田長淑の蘭学を学ぶものは漢学も学ばなければならない、という教えも影響してるのではと思います。
因みに長英の長は吉田長淑から頂戴しいているし、英は先輩、小関三英から頂いています。
長英は元々幼名、後藤悦三郎(のちに郷斎)といい、父親を早く亡くし母方の実家である高野家に養子となっています。
高野家は由緒ある家系で、元はといえば上杉謙信の家臣であったらしく、義父は水沢公の御典医を勤めていました。
今でも水沢には高野病院として残っています。そういえば、同級生に高野K(女性)さんがいました。確かやはり医者になったのでは・・と思います。
子供の頃はいつも長英は郷土の偉大な人物と教えられてきましたが、今になって少しでも長英のことを知ると確かにすごい人物だと思うようになりました。
全国を逃げ回った壮絶な手に汗握る逃亡記、吉村昭のこの本は緊迫した状況を克明に描きだしています。
この人の本は現場を丹念に自分の足で歩いて取材する人なので、読んでいくうちにその場に引き込まれていく感じがします。
昔、テレビで「逃亡者」というアメリカの番組がありましたがが、それはそれでおもしろかったが、やはり、事実の逃亡記はより以上に緊迫感があります。
それにしても、当時の幕府はあきれるほど執念深い執拗な捜索です。
今の警察となんら変わらない、もしかするとそれ以上かも。
今でも毎日のように歩いていますが、それは想像を絶するものがあります。