わたしのJogNote
ぜひとも訪れたかったパールハーバー「真珠湾」
朝6時発のツアー・バスに揺られ、ハイウェーをひたすらパールハーバーへ
明日は初ホノルルマラソンであるが昨日から少しもランしていない。実際は膝を痛めているので走れる状態ではない。しかし、だからこそ少しはゆっくりジョグをすべきだが・・・。
ホテルから1時間ほどで真珠湾に到着。朝起きてからホテルを出発するまでかなりの雨が降っていたが今は止んでいる。雨上がりのパールハーバー、白々と明けてきた湾内には凛とした空気が静かに漂っていた。
ホテル(マリオット)のクリスマスツリー
ゲートを通り過ぎてチケット売り場前、その向こうは真珠湾である。
この公園は今月7日すなわち真珠湾奇襲攻撃の日に新装オープンしたのである。
アメリカさん、なかなかやるね。
朝7時過ぎの真珠湾。凛とした空気が漂っている。
フォード島に係留されている戦艦ミズーリが見える。
オアフ島全景。真珠湾を奇襲した日本海軍機はこちら側からフォード島に突入したのである。
真珠湾は鹿児島の錦江湾にそっくりである。
フォード島は桜島。左に薩摩半島、右に大隅半島である。
第一波の攻撃図
第二波の攻撃図
空母赤城を発艦する日本海軍機群。左に見える写真に山本五十六連合艦隊司令長官の姿がある。
先ほど若い米人女性が「この人が山本五十六。」と連れの男性に話しかけていた。
日本の同世代の方には多分この人が誰だかわからないだろう。
戦艦アリゾナ記念館
戦艦アリゾナの第3砲塔跡ターレット
今でも海底からオイルが海面に
記念館内部。向こう正面壁に戦艦アリゾナの戦死者氏名が記されている。合掌
戦艦ミズーリが近くに見える。
海軍運航のシャトル・ボートで公園に戻る。
画像からわかるようにボートに、私以外の日本人は誰もいなかった。
どうやらほとんどの日本人はハワイに来て戦跡を訪ねるような人種ではない。
太平洋戦争、真珠湾奇襲攻撃とは無縁なのである。悲しい・・・。
公園内には他のアジア人種、例えば中国人、韓国人、インド人を多く見かけた。
フォード島にある戦艦ミズーリを訪れる。太平洋戦争、朝鮮戦争、そして、湾岸戦争に参戦した。
太平洋戦争終結時の星条旗。50州に達していないのである。
東京湾での降伏文書調印式の位置を示すプレート
連合国側の降伏文書(革張り)、奥が日本側(布張り)
日本側降伏文書アップ。布張りである。連合国はなかなかやるね。
カミカゼ・デッキ。零戦が体当たりした場所
零戦体当たり直前の写真
零戦搭乗員を手厚く葬(水葬:A Buraial at Sea)る戦艦ミズーリ乗員と艦長
しかし、ここに至るまで乗員側に大きな葛藤があったのである。当然であろう。
零戦搭乗員の家族写真も掲載。お互いに家族がいるのである。
新装なったシアター。以前は2箇所あったようだ。
人生の樹(左)と太平洋の十字路を示す標識
展示館(真珠湾攻撃前)
展示館(真珠湾攻撃)
日本海軍機搭載の魚雷。水深浅い真珠湾攻撃用に開発された。
これは不発弾である。
日系人アメリカ兵の忠誠心を示す掲示
同様の掲示がカナダ・バンクーバーの海洋博物館でも見たことがある。
日米開戦から強制収容所に連行された日系人のカナダ合衆国に対する忠誠心・愛国心だった。
海底に沈む戦艦アリゾナ。手前が艦首である。
戦艦アリゾナの錨
潜水艦ボーフィン。ボーフィンは魚の名前
潜水艦ボーフィン全景
艦橋横に沈めた日本の軍艦旗と日の丸が見える。旗の数は撃沈の数を示すのか?合掌
ここにはアリゾナ記念館(無料)のほか有料見学の戦艦ミズーリ、潜水艦ボーフィン、太平洋航空博物館がある。
今回はアリゾナ記念館と戦艦ミズーリを詳細に見学した。来年は残り2個所を訪ねたい。
スナック売り場にある招き猫。多分、右側(白)が人招き。そして、左側(金)が金招きだろう。
公園入口1(右側)
公園入口2(左側)
公園近くのバス停。42番のバスで帰るがなかなか来ない。
実は、朝ここにやって来たツアー・バスで帰るつもりがもう少し見学がしたいので、自分は市営バスで帰る事にしたのである。見学でクタクタになるが今見なければいつ見るかである。
バス停近くに咲いていたハイビスカス
午後4時に約束していた記念写真。ぎりぎり間に合った。市営バスは海岸通りを走らないのでどこで
降りていいやらヒヤヒヤで案の定、ホテルからかなり離れた地点で降りてしまった。
ゴール付近で記念写真。旗持ちが私である。
夕食は「義経」。鯖焼き定食で乾杯。何と鯖の切り身は2切れで万歳!!
戦い前夜。8時頃に就寝したのである。明日のモーニング・コールは何と2時である。