ラブリーな日々

庭の四季の様子と ゴールデンレトリーバー「サラちゃん」の成長の様子そして、美味しいものなども お伝えします. 

マラッカ 160403

2016年04月25日 23時39分32秒 | 旅行
     マラッカ海峡
              マラッカかいきょう
マラッカ海峡は、マレー半島とスマトラ島を隔てる海峡。
南東端で接続しているシンガポール海峡とあわせて太平洋とインド洋を結ぶ海上交通上の要衝となっている。
2005年における年間の通過船舶数は9万隻を超え、
タンカー、コンテナ船など経済的に重要な物資を運ぶ大型貨物船が海峡を行き交う。




マラッカ海峡は、1511年にポルトガル、1641年にオランダに抑えられ、

17世紀にはいると、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)が進出し、

1641年にマラッカのポルトガル人を追放してオランダ領とした。





船から下りた オランダ広場には マラッカの歴史を物語るものがあります。

オランダ広場のシンボル、キリスト教会








ビクトリア女王の噴水







オランダ広場は 観光客でいっぱい







人気のかわいい人力車、「トライショー」







この広場の近くに マラッカの名前の由来となった「マラッカ・ツリー」があります。







マラッカ海峡が見えるところに来ました。



遠くに海が見えています。

昔も今も 世界的に重要なポイントです。



海峡タワーからの眺めは、殖民地時代からの様々な建物を

360度回りながらみせてくれるので 素晴らしい眺めらしい…

時間がなくて、パス…





セントポール教会跡 

ポルトガル支配の頃、キリスト教布教の拠点として建てられたセントポール教会の跡。

フランシスコ ザビエルの遺体が一時保管されていた場所です。



















サンチャゴ砦と大砲











ポルトガル軍がオランダとの戦いに備えるため建てられた「ファモサ」と呼ばれる要塞。

当時は高い塀で囲まれていた。現在は石造りの門と大砲のみ残されています。







「マラッカ海峡の海賊」

古来、マラッカ海峡の海賊は単に彼らの生活手段というだけではなく、政治的にも重要な意味を持った。

この付近の国の統治者たちは、自身の支配力を維持するため、しばしば海賊と協力し合っている。

例えば14世紀にパレンバンのシュリーヴィジャヤ王国の王子だったパラメスワラ(英語版)は、

この海域で活躍するオランラウト族(英語版)の海賊の協力を得てマラッカ王国を建国している。



新しい海賊船



今の 海賊船は こんな船ではありませんが…








コメント (4)
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