今回の民主党代表戦出馬された、小沢前幹事長の言われる「政治主導」という意味に対して。
分かり易い説明、納得いく本の中からの引用と自分なりのまとめです。
政治主導が何故必要なのかという視点から
先ずはこの官僚主体では、政治家の政策は通らない、なのに責任はいつも政治家の責任になる。 官僚は説明責任を負ってはいない、なので政治家のように責められる事がない(説明責任を果たさないで済む)。 選挙で選ばれたわけでない官僚が政治家に命令・支持を与えるシステム体制になっている。 「政治家はお飾り状態」意見は求められていない。 という事は民意の選出した政治家に力(権限)を与えられていない状態。 これでは選挙をする意味がないのでは? と著者の疑問提議です。
総理大臣になっても、自分の意見を言わせてもらえない、官僚の作成したものを滞りなく役目を果たすように求められる。 政治家の意見は重要視されない。 これでは選挙民の「一票の重みも重要性も無い」という事に成ってしまう。
政治家としては国政に民意を届け、政治を司るという重要な任務があるはず、これをコントロールする意味がない。 ここの部分を何とかしないと日本の政治は変わらない。
官僚主体の政治で政策が決まるので、不透明な「密室政治」そして、政治家と違って説明責任を負わない。
今この明治からの政治構造の見直しをしようとしている。
小沢前幹事長の政治家としての正当な意見だと私は思う。
国民の代表として責任を負う立場なのだから、政策をそして財源の内容を把握させて欲しい、当然の主張だと思う。
国民の代表は政治家、その政治家に統治させて欲しいと言う意見は最もだと思った。
この本 「日本という国をあなたのものにするために」 は内容豊富でとても分かり易かったです。
政治、世論のコントロールが、どのように成されているのかも理解できる。
説明責任のある政治家に政治をしてもらう、当たり前の事で大事なことだと感じた。
政治主導 本来の政治 そして政治の支配バランスを正すと成っている
いつも責任を押し付けるのなら、きちんと自分たちの手に政治を返してくれ! ということなのかと思った。
(政治構造 バランス) システム
* 説明責任がない人々では、今回のようなビデオ流出にも、責任のなすり合いで終わってしまうのかなと思った。
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