この間の続編
なぜ、アン・バートンが特別に懐かしいのか?
石めに何があったのか?その青春時代の哀しい思い出とは?
今日、40年ぶりに明かされる真実とは・・・
前回、アン・バートンというオランダの歌姫と愛称された人気ジャズヴォーカリストの1枚の
アルバムのことに触れましたよね。
「BY MYSELF ALONE」
このCDは、ぼくのもっとも大切なCDコレクション100枚のうちに必ず入る大切なアルバムです。
いや、ベスト30枚に入るかもしれない、いんや絶対に入るという大切な大切なCDなんです。
その訳をじっくり話しまっしょ。
これは、最近また買った、その訳はおいおい書きます、同アルバムによると
1974年の日本での録音です。
そうだ、日本人のジャズメンと組んで日本の街のあちこちで演奏旅行したのでしょう。
そのうちの一つのコンサートに、ぼくはある北の街でチケットを買って、楽しみにしていたんですね。
さて、学校出て勤めに出て ほやほやの新人のぼくは、あまりジャズのコンサートなどはやってこない地方の都市のこととて、薄給の中からやりくりして、これと思う音楽コンサートはチケットを買うようにしていたんですね。40年も前のことですから、確か1500円か2000円のチケットとしても、当時のぼくには最高に贅沢なこと・・・その日がやってきました。さあ、心はワクワク・・・
ところがどっこい、若い新人のぼくは、突然上司から残業を命じられ黙って残業に着いたのでした。
ところが哀しくも悲しいことに何も仕事はなかったのですね。
上司曰く、入ったばかりの新人が一番先に帰るのは如何、という事のようでした、真相は。
それに対して、一言も実はかくかく云々、という正当な理由を言えなかった、純情すぎるというか
内気で莫迦丸出しの20代のぼくの姿が40年も前は確実にあったという事なんですね。
その夜、もう帰ってよろしいと上司に言われたぼくは急いで支度をして、走ってコンサート会場に向かいましたよ。走った、走った。チケットを出して会場に入れた、ところが・・・・・
大きなホールのドアを開けて入ると、明るくライトはついていたけれども、人っ子一人いませんでした。コンサートは終わっていたのですね。
あの時のことは今でも覚えております。
ぼくにとって、そんなわけで アン・バートンという人のライブ演奏はついに聞くことがなく、
その後何枚かのアルバムで、いいなあと思うようになり、それでも、ぼくにとっては74、75年頃の日本各地での演奏が最高だと思うに至るわけなんです。ぼくにとっての幻のコンサート・・・
パーソネルを書きます。
アン・バートン Vo
佐藤允彦 P
小川俊彦 P
稲葉国光 B
小津昌彦 Ds
宮沢昭 Ts、Fl
中牟礼貞則 G
前回買ったCD、どこかにあると思うんですが、偶然 これまた散歩の途中でCDショップを発見。
見ると、EW イーストウィンド より 再発、 また出されているんですね。
そのうえ、新しい曲が2つも入っているようです。だから奮発して買ったのでした。幻の名盤が安くなっていた。
今見ると、最高のメンバーですねえ。
アン・バートン、生きて聴くことはついぞかなわなかったけれども、しっかりとぼくの心の中に生きております、最高の音楽家です。
最後に余計なことですが、AKBだとか、今を時めく流行りの音楽は、5000円くれるからと言われても聴くことは苦痛です。聴かないと思います。
昔縁あって聴いた音楽は、15000円出しても聴きたいなあと思うのですね。そんな悲しい青春の思い出を、本で書こうと思ったけれど、大奮発して、ブログで書いてしまいました。本が延び延びになっているからです・・・哀しい。
フォト・文 石郷岡まさを



