何週間ぶりかのご無沙汰です。
これからは、日々の散歩写真で
撮っては直ぐ出し、撮ってはできるだけ直ぐ出して…を心がけようっと。
今一番皆さんが興味と関心がおありになるのは、きっと自らの健康と2位3位がなくっても
健康で長生きしたい、そのために役に立つ情報を・・・ということではないでしょうか?
おまかせくださいな。
石めは、なんと本人もびっくり、古希を迎えましたん。
それでつらつら考えてみるに、
( どうもいつも書き馴れているパソコンじゃあないから、書きにくいったらないよね。)
それで今年は、なんとなくサラリーマンからフリーのカメラマンになって35年目にアタル年だとは漠然と思っていたのです。なんとなく・・・でも驚きましたね、
ぴったりフリーになって35年目でもありますが、ぼくがフリーになったのはなんと35歳の時だったことを忘れておったのですね。^^
なんという間抜けでしょう。
それも、古希、意味が分からないし自分とは関係ないやという人は深く意味を考えなくてもいいです、とにかくぼくが、(古希)となった年にこんなことに初めて気が付くなんて・・・
莫迦丸出しのような嘘のように思えるかもしれませんが、実は本当のことなのです。
嗚呼、ぼくは35歳の時に好きなことを仕事にしようと思い切って跳んだのでした。
これ、本当のことなのですが最近までこのことに気が付かなかったのです。
嗚呼、35歳の時がぼくにあったんですね。
疾走する青春、
やや遅れてやってきた青春、
緊張していたからか、好きなフォトにかかわれる幸福を感じながら毎日、出版社を訪ねて
売り込んでいたように思うのです。
初めて買ったカメラは、当時出たばかりの Contax いや、これでは戦前のカメラのロゴになってしまいます、ぼくがサラリーで買った初めてのカメラは、ヤシカから出たばかりの
CONTAX そう、ヤシカとツァイスとポルシェデザインとの合作カメラ、コンタックスだったのですよ。これは実にかっこいいカメラでした。もちろんデジカメなんて出るはるか昔の時代です。
1980年ごろに買っていて、いきなりフリーになっても食べていけませんから、会社へ通う道すがらカメラで都市のスナップを撮っていたんですね。
あれは、原宿にヤシカの事務所があったころでしたから、1980年ころ、確かそこの所長の
佐藤さんといったと思うけれど、年配の方に写真を見せておりました。アマチャアのぼくの写真を佐藤さんというベテランの方は、ある写真からぼくにいろいろ注目してくださり、アドバイスも与えてくださったのです。それは、自然の中で遊ぶ子供らを撮った写真かと思うのですが、大変褒めてくださり、君は、こうこうこういうものを撮ったらどうかね、と言ってくれたその内容にちょっと驚きました。それは、スペインにガウディという人の建築物があり、そこを撮ってみなさいよということだったと記憶します。
また、佐藤さんは、当時でもすでに有名だった、加納テンメイ、ごめんなさい典明さんという方だったのか、とにかくその人を応援して育てたけれど、ダメだったという話をされてびっくりするのですが・・・そんな方がぼくの写真をまじめに見てくださったというだけでうれしかった思い出があります。佐藤さん、もちろんあらゆる機会にぼくにもチャンスを与えてくださって、何点かは、コンタックスクラブの機関誌に載せてくださったりしたのです。
でも、なんといっても、びっくりしたのは・・・・
おやおや、こんなことまで書いてしまい、枚数が尽きました。
( ヤシカの原宿のサロンに1980年ころ、いらっしゃった佐藤さん、
お元気でしょうか。その時は大変お世話になりました。
ありがとうございます。)
次回に、続きます。
では、また
フォト・文 石郷岡まさを