かって、船で旅したころもありました。
ええっ、本当なんですよ。
船の旅って乗っている人と仲良くなることが多いのですね。
ある時、船のイベントで、微かな記憶なんですが、たしかアメリカの近くをクルージングしていたのか、その夜は確かテーマがアメリカだったかのイベントが企画されたのだと思います。顔見知りのおばさんが、「アメリカ」と聞いて、絶対に参加しないといいだし、ぼくはびっくり。ぼくも必ずしも・・・でも、戦後に生まれた人間として、戦後すぐのGHQの日本民主化政策は立派なものだと習ったし、事実一部の憲法をはじめとした占領政策は進んだものだと思っています。
で、あまりお話したことがないご婦人、というよりおばあちゃんでしたが、バーでお話をお聞きしましたんです。そしたら、3・10の東京大空襲で身近な方を亡くした方だったのですね。炎の中で逃げ回り、何とか命を失わずに生き延びられた方だったようなのでした。3・10を体験したことがアメリカに対する価値観を決定した方のようでした。
今日、ネットのニュースで、3・10の東京大空襲と言えば、と思い、あるかたをウェブで検索してみたら、なんとなんと大ニュースが・・・
初代林家三平師匠の奥様、というよりも、ぼくが落語を聞いて寄席にも通いしていたころのことで言えば、林家正蔵氏の、昔の名でいうなら、林家こぶ平氏のお母さん、海老名香葉子さん宛てに なんと、アメリカ大使館から追悼のお手紙が届いたとのニュース・・・ああ、およそ10万人の人々が亡くなったといわれる3・10の東京大空襲の追悼を続けられてきてこの方は偉いなあと思っていたのですがやっとその思いが少しは報われたのではないのかと思いましたねえ。
3・10の東京大空襲を長いこと調べられて、書かれた作家の早乙女勝元氏にも、当然ぼくは敬意を払います。
戦争というものは、非戦闘員である子供の命も失うものであるというこのことを今スマフォを見たり、ゲームに興じたりしている小、中学生の皆さんにも、ちょっぴりお考えいただくとおじさんとしてはうれしいなあと思う事は事実であります。
まとまらないまま、そんなことを思いましたね。
フォト・文 石郷岡まさお
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