はじめのことば
人は永生きせんと思はば、嘘を言ふべからず。嘘は心を遣い、気を労するものなり
夢想疎石「語録」
幼児期は保育所で人生の終末は老人ホーム
昨晩のブログは中途半端で終了、心残りなので続きを書かせてください。お願いします。
老夫婦が若夫婦の子どもを面倒みれば、保育所問題は解決すると見栄をきったところでとぎれました。そのとき、はっと気づいたことがあります。
「オレの収入はいくらだっけ?人様に偉そうに言える額ではないじゃん。孫の保育所より自分の老人ホームを心配したほうがいいぞ!」
絞りだすようなこころの叫びがきこえたので、なんかむなしくなり、スコッチシングルをストレートで飲り、ベッドに入った次第です。
他人を世話をするということは、生活にゆとりがなくてはなりません。とくに、金銭が重要になってきます。安給料と年金だけでは、老夫婦二人の暮らしで精一杯です。子どもと孫にまで回す余裕はありません。
"ぼろはきててもこころのにしきどんな花よりきれいだぜ"
この歌で勇気をもらい、仕事に励んだ人たちもいたでしょう。時代は移り、体裁より本音で語る世相になりました。
やせ我慢しても、食べなければ生きていくことはできません。社会の風潮を言い表したフレーズ、
"今だけ!カネだけ!自分だけ"
はじめのうちは、自分さえよければ他人はどうでもいい、傲慢に聞こえましたが、近頃は"その通り"と妙に納得しています。
"一億総貧困化"を実感させられるのが、掲載した保育園と老人ホームの写真です。生まれてから死ぬまで施設で過ごす、なんとなく、寂しい気持ちになりました。
一昔前のことです。わたしの従兄弟が結婚式を挙げた会場が数年後、葬儀場に変身をとげました。そこで、従兄弟の父、わたしの叔父の葬式を執り行いました。これは本当の話しです。
へたをすると、少子化で子どもがふえず、老人がふえれば看板をとりかえたたげで、保育所が老人ホームに早変わりします。両施設の設備を比べればまるで一緒です。その空間にいるのが、幼児か老人か、それだけの違いです。
人生の最後は自宅の畳で往生を遂げたい、ささやかな希望をいだいています。
ジェンダー関連の記事
男女平等実現に131年 世界の格差指数、日本は過去最低:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD201U60Q3A620C2000000/
ジェンダー・ギャップ、日本125位 「過去最低」の事情:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2009H0Q3A620C2000000/
きょうはこれでお仕舞いです。ご訪問ありがとうございました。
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