日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

二回目の検査

2017-11-18 19:41:51 | 日記
 内視鏡の検査を受けました。二回目
です。前日の午後八時から飲食はNGです。当日午前九時より腸をきれいにするために二リットルの排泄をうながす特殊な水と500ccの水を準備します。コップ一杯180ccを10分かけて特殊な水を飲みます。6回くりかえします。つぎに水を時間かけて飲みます。いよいよ促されてトイレへかけこみました。始めは固形物
ゴールは透明水です。残りの特種な水を
同じ飲み方で二リットル正午までに全部飲み干しました。その間合計20回駆け込みました。
 午後三時に病院に到着しました。待つこと一時間ようやく診察台へうながされて横になりました。内視鏡が尻の穴から挿入されます。モニターに大腸の様子が写し出されます。肉の壁がピクピクうごいています。色はきれいなピンク色です。でてきました。たらこ大のポリープ登場です。これだったら腹切りになると確信しました。素人判断はだめです。
正式な診断は下旬にくだされます。
 検査終了しました。私の暴飲暴食によく耐えてくれましたね大腸様。思わずささやきました。ありがとうございます。
自分のあらゆる体を形つくっているそれぞれのパーツに改めて感謝すると共にこれからも面倒見てくださいとお願いしました。体は神秘です。小宇宙です。精密につくられた神様に感謝です。
 現在進行形で生きている素晴らしさに対して喜びいっぱいです。今後、どのように展開するか楽しみです。

演劇鑑賞

2017-11-17 09:38:08 | 日記
 毎年楽しみにしている劇団の講演が行われています。16日午後2時から始まる時間帯を予約、15分前到着、指定席へ時間どおり幕があきました。



 今回の劇のテーマは、幸田露伴と文の親子の絆でした。
 まず、露伴の名前の由来に興味ひかれました。所持金を神社にあるお賽銭箱に投入、一文なしになり、草枕で一晩過ごし朝目覚めると草の葉に露がぽたりと落ちたそのとき文学に開眼したエピソードです。露を名前の一字に入れ、初心を忘れないようにしたのでしょう。神様も意気に感じてインスピレーションを与えたことと思われます。

 次に、露伴が文に対してとる態度です。文がかわいそう、憎たらしいくそじじい、思わず感情移入してしまいました。明治時代の父親は頑固で、優しい気持ちがあるにもかかわらず、それを表現できないのかする気がないのか、あれでは一緒に暮らしていてもつまらないのではないだろうかと劇を見ていて、しだいに気持ちが沈んでいきました。
 あの頃の父親たちは多かれ少なかれ露伴と同じだったのでしょう。女、子供は共に暮らしていて、楽しくなかったのではないでしょうか?一昔前言われていました。怖いもののたとえで
  地震 雷 火事 おやじ
 平成時代にはおやじの三文字は消えてなくなりました。いいことかどうかわかりませんが、私はふにゃふにゃパパです。それはそれで誇らしいことだと露伴を見て、改めて確信しました。人生明るく、楽しくお互い手と手をとりあって助けあいながら暮らすのが人間のしあわせではないでしょうか?

 最後に戦争の悲惨さです。言論の自由を失い、軍部の方針にそぐわなければ逮捕され拷問にあい思想の転換を迫られる。獄中で亡くなる人もたくさんいたことでしょう?露伴の弟子、三木清もそのうちの一人で、この人は哲学者で西田幾多郎のあとを継ぐ人材でした。すぐれた人たちの将来を奪う戦争はしてはならないのです。
 B29爆撃機による破壊行為、防空壕、疎開、もんぺ、空襲警報、劇中舞台が真っ赤にそまり爆弾を落とす効果音がなり響きました。思わず驚きそして鳥肌がたちました。お笑いになるかも知れませんが、それだけ舞台に引き込まれていた証拠でした。実体験された方々はもっと大変な苦労されたことでしょう。逃げようと文は露伴を説得しますがくそおやじは、言うことを聞きません。素直が一番、老いては子に従え、諺がありますが
頑固一徹、聞く耳を持たない姿にあきれたり、いらだったりした自分の心の動きにさせるだけすばらしい演技でした。

 限られた時間の中でたくさん印象に残る場面がありました。脚本と演技の素晴らしさを満喫した至福の時間でした。
 次回の作品が楽しみです。

 

 

達筆な葉書

2017-11-15 20:05:11 | 日記
 1枚のはがきを掲載しました。定期的に届きます。ほぼ毎日です。差出人は、92歳になる義父です。文面は四季の移ろい、幼い頃、戦争、また、事業立ち上等様々です。いただいたはがきは500枚以上になります。きちんととってます。
載せたはがきは一番あたらしいものです。

    継続は力なり

 私も、還暦過ぎましたが、今もって何事も長続ききしません。ブログも休み休みしている次第です。義父のはがきをのせた効果で今日から長く続けられるような気分になりました。
 はがきのすはらしい文字と文章は記念になります。それよりも、その中には、語り尽くせない思いがあるのでしょう。大正、昭和、平成と生き抜いてきた義父の歴史を振り返ることにより、日本が歩んできた道のりがわかります。

  賢者は歴史を学ぶ。私も学ぶ。
  歴史は繰り返す。

時代の生き証人としてきちんと体験を聞いて、受け止めようと思うこの頃です。

ヤバイ 癌 ダ!

2017-11-08 14:05:57 | 日記
 平成29年11月7日.大腸癌を宣告されました。寝耳に水とはこのことです。自分だけは、癌とは無縁だと今日まで生きてきました。言われたときは、あまり 深刻にうけとめませんでした。しかし、内視鏡検査の注意事項の説明を聞いているうちに、これは、夢でなく現実なのだと徐々に実感がわいてきました。
 ことの始まりは血便からです。8月25日に、新宿健診センターで、生活習慣病の検査を受けました。提出物は、検便、尿、それと問診票です。手順どおりに検査を終え結果待ちになりました。
心電図と血便に危険信号が点滅しました。再検査です。還暦過ぎると体も軋みが生じるのでしょう。

  癌なんかに負けてはいけません。

天の声が聞こえたような気がします。

 人生100年時代を迎えました。癌と初めて出会い、どれくらいお付き合いするかわかりませんが、ジタバタしないで楽しく運命の流れに身を任せ暮らしていくつもりです。主治医から癌の現状説明受け、退室するときに一言申しあげまた。

  これから病院にくるのが楽しみ
  になりました。よろしくお願い
  いたします

 先生は、怪訝そうな顔をしましたが
付き添いできていた家内は

  あんなこと言ったら失礼でしょう。

 口が滑って出してしまった言葉はもとに戻りません。これからは、気持ちを楽にして、癌と友達になるくらいに精神的に強くならなければと自分自身に言い聞かせて帰宅しました。

 病院の帰りに購入、久しぶりに食べ たケンタッキーフライドチキンのおいしかったこと。そのとき、癌のことはすっかり忘れていました。


  

初めてのとてもいたい体験

2017-11-03 18:50:58 | 日記
 大腸ポリープの検査のために、新宿健診センターへ着きました。12時の予約です。

 前日から腸の中を透明にするために
特別食です。メニューは次のとおりです。
 昼食 ゼリーとウェハース2枚
 間食 ビスコの小袋2つ
 夕飯 おかゆと豆腐ハンバーグ
    味噌汁
夜の8時以降飲食禁止です。お酒もだめなので12時前にはベッドにはいりました翌朝8時より1升の下剤入りの水を2時間かけ1回につき、200ccなので9回に分けて飲みました。10時になり腸の中は、きれいになりました。これまでの過程は自宅ですませます。

 3階で受け付けをすまし、待ち合い室へ検査の前に最後の排便のチェックがあります。すべて出した後なので出るわけありません。しかし、看護士が水を飲めばでますからといわれそのとおりしたらきちんとでました。でたら呼んで下さいとブザーを渡されていましたのでを呼びました。排便の状態を確認しゴーサインがでました。そこまでする看護士の仕事の
大変さを思いしらされました。

 いよいよ本番です。診察室には入りました。その前に注意事項を聞き、着替えをすませました。検査着とその下はお尻の部分があいた紙パンツです。医師1人に看護士2名の体制です。覚悟を決め診察台の上に横になります。仰向け、うつぶせ、尻つきだし。数種類のポーズをとり、30分程で終了しました。

カメラが撮影している自分の腸内の様子が鮮明にモニターに映し出されていました。初めのうちは、挿入の痛さで観る余裕がありませんでしたが、慣れるにしたがい観るときれいな洞窟を探検しているようでした。小さなポリープかあれば退治して進むそうです。しかし、途中で出会った私のポリープは、タラコ大でした。一瞬やばいぞ!何だあの物体は
不安がよぎりました。排除するには
別の手だてが必要だと素人の私にもわかりました。

 診断の結果、町医者ではなく、大きな病院で診察を受けて下さいといわれ、
紹介状を書いていただきました。本日の結果通知を待たずに行動を起こして下さいとのことでした。紹介状の封は開けれませんので上から触れたらDVDが書類2、3枚と一緒に同封されていました。

 検便、お小水、血液を調べれば、健康状態を把握できるシステムを構築した我が国の医療はすごいと改めて惚れ直しました。血便がでていただけで大腸を調べましょう。たらこから出血してたのが原因で便に血がついたことがわかりました。このあとどのような展開になるか
わかりませんが早期発見できて良かったです。