東京二期会が9年振りでヴェルディの「ドン・カルロ」を舞台にかけた。この作品の上演で常に問題となる版は、前回同様イタリア語五幕版ではあるが、今回はそれに加えてパリ初演時にすでにカットされていたいくつかの曲やバレエ曲、更にはシュトットガルトでのこのプロダクションの初演時に挿入されたゲルハルト・ヴィンクラーの現代曲をも加えたオリジナル版が使用された。演出はロッテ・デ・ベア、ピットは一昨年の「ファルスタッフ」で好評だった俊英レオナルド・シーニと東京フィルが受け持った。この日の主な配役は、フィリッポ2世にジョン・ハオ、ドン・カルロに樋口達哉、ロドリーゴに小林啓倫、エリザベッタ竹多倫子、エボリ公女清水華澄、宗教裁判長に狩野賢一といったところ。まずは今回の上演で特徴的だったのはその演出とクリストフ・ヘッツアーの舞台だろう。舞台中央に配置された黒く大きな重量感のある楔形の壁が一晩全体を支配し、それが回ることでシーンを切り取って行くのだ。これについては、それはそれなりに効果はあったと思う。そして時代は現代に設定され、カルロ以外の登場人物はそれぞれの理想実現の為にそれぞれが持ち得る範囲の権力を行使して立ち回る。そんな中では理不尽な行為も頻出するのだが、5人の子供達を視覚的に重要な場面で登場させたということは、あらゆる価値観が良いも悪いも親から子へ世襲的に伝わってゆくということなのだろう。一方カルロは、強い人間達の中で度重なる挫折に心挫かれて心は最後まで浮遊している儘だ。これは現代にありがちな人間像だ。あえて言えばそんなことをメッセージとして受け取った次第だが、そのメッセージ自体がすでに原作を大きくはみ出していて、演出者の局所的な思いつきを連ねたような印象だったと受け取った。だから面白い部分はあったとしても私にはどうも本道とは思えなかったというのが正直な感想だ。というのも、そうした社会矛盾のようなことを極めてエゲツない手法で無理やりに描けば描くほど、それはヴェルディの後期へ差し掛かろうとしている作風の持つ品格と遊離してゆくように思え、聞こえたからだ。折角の名作の価値を損ねていると私には思えた。しかし歌手達は極めて演劇性の強い要求を叶えつつよく演じ歌ったと思う。一つだけ例を挙げれば、エボリ公女のアリア「むごい運命よ」を、自らの長髪を鋏で裁断しながら苦渋の表現で見事に歌いとげた清水華澄にはただただ驚嘆した。シーニの捌きも過不足なかったが視覚が音楽を損ねていたのでヴェルディの快楽は得られなかった。
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