インテグリティ

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判例を根拠にしているが?

2015年02月06日 09時31分20秒 | 真実

先日、竪山事件の裁判が行われ、一審が死刑、二審で無期懲役。

判決が異なった事に裁判官は、ネットの情報によると「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にしたとある。

過去の裁判例とは、伊能事件?

この裁判では伊能が奥さんを殺害、二女を殺害。・・1988年 (結果として、2人を殺害している)

それから20年服役し、半年後に殺人。・・この時の判決が一審で死刑、二審で無期懲役となる。・・理由 殺害の被害者は1人で、前科と関連が薄い。先例から見ると死刑は選択されないとある。

前科と関連が薄い?・・裁判官がそう考える?精神的には大いに関連がある!

20年間刑務所暮らしをして、刑務所暮らしをさせるのは何のため?罪を償わせるとともに、反省を促す為もあるのでは?出所後、わずか半年の間に殺人を犯す。この行為で反省したと言えるの?

そもそも、この事件(伊能事件)の裁判自体の判決が、少しずれているのでは?身内2名を殺し刑期が20年だと言うところが変。

司法研究所は、2012年の研究報告で被害者1人で死刑が確定したケースは、仮釈放中の無期懲役囚による例や、身代金目的の計画事件に限られており「裁判員にも先例の理解が求められる」と指摘したとある。

裁判所の考えでは、身内と言うのは1人、2人と言う風に考えていないんだ。例え家族とて1人1人の生命である。この生命を勝手に奪ってもいいという権利はない!例え夫でも奥さんでも兄弟でも。

第一、この時の判決(伊能事件)が生命と言うものに対しての考え方がずれている。伊能が反省していれば、わずか半年で殺人を犯す事はない!

この判例を根拠にしているのであれば、裁判官の資質が問われるだろう。人を裁く場合は生命の重さと言うものを、真剣に考えなければずれた判断を下す結果になる。家族でも1人1人の魂であり、尊重されるべきでありその尊重の度合いは、他人と同等である。

生命の度合いを軽んじているから、家族を2人殺害する犯罪に対して、出所後わずか半年後に殺人を犯す人間を、創りだしたのである。・・結果、生命の重さと言うものを考えずに、判断を下すから被害者を増やすのである。(二つの生命をうばった時点で、切りを付けておけば被害者が増えなかったのである。結果として判決のミスだろう。)

二つの、生命をを奪ったのであるから、司法研究所の研究報告からすれば、死刑に相当する。被害者が1人ではないのだから。伊能事件の判決も過去からの判例だと言われているが、現代の考えとずれている事を、裁判官も認識する事が必要だろう。判例のミスが判決のミスを生んでいる事は、現代に於いて結果で証明される。

この事件(伊能事件)を判例にして、竪山事件の判決を下したとなれば、判決ミスを踏襲したことになる。過去の判例を検証もしないし、正そうとしないと受け取られても仕方がないだろう。

自分は、死刑者を増やしたくて、上記の事を書いているのではない。生命の尊さを真剣に考えてもらいたいのである。

竪山は、強姦の罪に重ねて人一人を殺害したのである、それも残忍な手口で。

出所させると言う事は、その後の経緯を見る為のものであると思う。竪山は反省せず事件を犯した。いわば、司法研究所が主張する、仮釈放中に相当するのでは?反省しないという事は、収監中の教育や訓練が無駄だと言う事と同じである。

このブログを見て、其々考えがあると思うが、被害者を持て遊んでいる加害者の犯行は、殺人+アルファーである。当然過去の犯罪もプラスされるべきだろう。

今回の判決は、裁判官の資質とともに合理性がないと思う。

日本国民の皆さんはどう考えますか?

それと、死刑廃止論者は被害者の生命の尊さを考えていないのだろう。死刑が残酷?加害者が殺人を犯す事は、残酷ではないのか?死刑廃止論者はトンチンカンだろう。


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