インテグリティ

昨今、何が真実か情報過多の為、真実が分からなくなってきています。
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集団的自衛権

2015年07月20日 06時44分59秒 | 真実

◇ 前日に続く

自衛隊の存在が違憲だと唱えてる憲法学者が、現在まで違憲だと唱えてるインチキ解釈の元で日本を愚弄してきたのか、前日のブログに書きましたが、現在の憲法が出来た背景を考えなければ、憲法の真の解釈は出来ないでしょう。

憲法9条をどう?解釈すれば、自衛隊の存在が憲法違反になるのか?憲法違反だと唱える連中は、日本の足をわざと引っ張る目的としか考えられない。

机上の上でいくら議論しても、自衛隊の存在が憲法違反だ!という考えの連中では回答は得られないだろう。自分は学者と言う存在は人格者だと考えていたが、先日のブログにも書いたが弁護士もインチキな連中が多いと知り、これでは日本がよくなるわけがない思う。(嘘慰安婦問題を世界に吹聴してきた弁護屋の存在は知っていたが、集団的自衛権の範囲までインチキするとは、言語道断!)

憲法の真実を理解してないこれらの連中が、生徒に憲法学を教えてきたとは、日本の若者が集団的自衛権を理解せずに、奇声を張り上げる意味が、わかったような気がする。

前日に、集団的自衛権の事を少し書いたが、ホルムズ海峡で機雷除去をする事は、戦争が解決して平和にならなければ、機雷除去は出来ないだろう。それと、自衛隊が地球の裏側まで出かける行為は、憲法改正をしなければ出来ないと思う。

原油が入手出来ないで日本の存立危機と仮になった場合、その時に国会で議論すればいい事だろう。自然とそうならざるを得なくなるから。以前も書いたが原油が世界各地をから手に入らなくらる状況は、世界が混乱する状況だろうから。その状況を冷静に判断する事が日本の立場を生かす事になるだろう。

考えなくてならないのは、同盟関係の事だと思う。日本近海の場面では?それと、仮に日本の自衛隊が南シナ海まで範囲を広げパトロールに加わった状況の想定が必要だろう。アジアの安定が日本にどう影響するかの事も考えると、どうするか?である。・・南シナ海パトロール活動の事は憲法と同盟関係の両方が絡む問題だろうから。

与党も衆議院を事案が通過したからと言って、現実考えられる状況の議論をした方が、国民に分かり安い。機雷除去と地球の裏側派遣は日本国民(自分)としては賛成できない。

現実的な事を国民に提供して、その後、考えられる事が発生すればその時議論する方が、現実的であり国民の不安を和らげる事になる。日本国民は現実的な事を説明すれば、理解できる国民だと思うから。

以前書いたが、国会内で議論していても反対の連中は反対であり、国会内の混乱を見ていれば余計に国民が不安になる。議員が其々の地元で集会を開き、分かりやすい説明をする事が必要だろう。現状では声を張り上げ奇声を上げた方が正論に聞こえる状況である。

国会議員だけが、分かったような分からないような議論をしても、埒(らち)が明かない。国民が理解すれば事案の意図が理解されるだろう。それには現実的な事を、丁寧に国民に説明が必要。そうでなければ、国民の支持は得られないだろう。

朝鮮のミサイル技術の進歩の可能性や、中国の横暴な軍拡、尖閣周辺の動き等など現実に起こっている事だから、日本国民はこれらの事は分かっている。事案の範囲が広すぎて設定しているので、国民が不安に感じている事を理解する事である。

参議院で修正する所は修正する勇気が必要だろう。国民の支持を得るには。

◇ 自由

以前、自由について事あるごとに書いているが、自分勝手な自由はないと言う事である。

周囲に迷惑をかけない、社会に迷惑をかけない等の事が担保されなければ、自由と言う事は自分勝手になる。

ネットでは、不倫の事が載っていたが不倫する側は、多様性を認めろと言っている。不倫の悪影響を考えてない、一方的な考えだろう。第一に子供の事を考える事である。親のトンチンカンな姿を見ていて、常識ある子供に育たないだろう。その子供が大人になっても、立派な社会の一員になるとでも?

それと、最近では同性同士の結婚が叫ばれているが、同性同士が一緒になっても子供は増えない。社会構成上正常ではない。正常な形態ではないと言う事を考えておくことが必要である。

自由、人権を叫ぶ事はいいが、社会生活をしている以上、周囲の事も考えてもらいたい。其々の考えは尊重するが自分らも社会の一員なんだと言う事を考える事が必要だろう。

これらの現象は「自然の摂理」として説明がつくが、自分は自由の名のもとで公に騒ぐ事は賛成ではないと思う。その騒ぐ事が正論だと考える事がないようにしてもらいたい。理想は、男女の結婚が普通ですから。差別意識で書いているのではない。正常な世界があるからこそ、自由や人権が叫べるのである。

公に騒ぎ過ぎると、社会構成を乱し敷いては自分らの存在も危うくすると考える事である。

基本があって応用があるように、基本は正常な社会である。

 


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