高崎でお墓参りに行った時に咲いていたサルスベリの花
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高崎に行ったのが14日でしたから、
あれから10日が経った事になります。
今回は、八重子さんの家の近くの、ビューホテルに泊まって
八重子さんと、いろいろお話をしてきました。
何時も八重子さんの息子さん達に、お食事に招いて頂いて、
今回も二日共、隆さんと晴男さんのお世話になりました。
お嫁さんにも、とても良くして頂いて、何時も本当に幸せです!
幼い時、戦争中であったからでもありますが、
疎開を兼ねて、八重子さんの家でお世話に成り、
幼い私は そこが自分の家だと思って楽しい時を過ごしていました。
その後、東京の学校に入るために、東京に戻って来ることに成ったのですが、
まさか、数奇な運命が待っているとは、想像だにして居ませんでした。
綺麗なお姉さん!と思っていた人が、実の母だったことを知ったのは、
大分経ってからのことでした。
おまけに、他界したと知らされていた父が、生きている事を知ったのは、
30半ばに成ってから…。
人生とは…。などと面倒くさい言葉は、私には似合いませんが
でも、不思議な糸で操られることとなったのは、事実です。
どなたに説明しても、「ややこしくて分からない」と言われますから
やはり、かなり面倒なことに、巻き込まれたようです。
そのややこしい、もつれた糸に絡まれながら
これも又、楽しい人生だったと思って生きて来ています。
もし、文筆力があったら、数奇な生い立ちを書いたかもしれませんが、
幸か不幸か、表現力に乏しく、どのように綴ったら良いのか分からないので
何も書かないままでいます。
実の父とは、生前4回会いましたが、その時、母親が違う娘と息子が居ると聞きました。
でも、その人たちに私を紹介しないまま、他界しましたから、
調べる事も無く、訊ねる事をしないまま、今日まで来ています。
その父が他界した事を知ったのは、新聞の死亡通知欄によります。
護国寺で行われた葬儀に、一般弔問客として参加して、
お香典を持たずに行き、一般客の方たちに混じってお焼香をして、
縁の無かった父と最期の別れをして来ました。
生い立ちは、私の預かり知らぬところものですが、
奇妙な糸で操られた宿命を持った以上、
努めて波風を立てぬように配慮をするのが、
私に課せられたここと考えています。
親が無くても子は育つ…。と言いますが、それは本当です。
親が居ない分、過分な幸せを与えられるのが、この世の中なのかも知れません。
母の従姉妹の娘の八重子さんは、実の娘でもない私に、
何時も本当に親切にして下さいます。
また、母の兄弟からも、過分な恩恵を受けました。
皆、他界してしまわれましたが…。
お陰で、寂しいと思ったことは一度もなく、生活して来ています。
私のような生い立ちの人が、全て同じように幸せだったとは思いません
私は、様々 親切な人々に恵まれて育って、今がありますから、
この幸せを独り占めしないで、分けて上げなければいけないと思いながらも
どのようにしたら良いか分からず、惰眠を貪っています。