個人的には、観ていて近来になく充実した時間をすごすことが出来たという意味で、最高度に評価する作品である。傑作と言っても良いだろう。マイケル・サルノスキ監督は、これが長編映画デビューということだが、「ショーシャンクの空に」によるフランク・ダラボン監督の登場を思わせるものがある。処女作でこれほどの完成度の作品を作ってしまうと、ダラボン監督の二の舞にならなければ良いが、などと余計な心配をしたくなるほどである。
一言でいうと”行間”を読ませる作品で、どれだけ想像力を使ってこの”行間”を埋めることが出来るかどうかで評価が分かれる作品であろう。レビューをいくつか見てみたが、私と同じような感想が見当たらなかったので、取り上げる気になった次第である。
観だしてすぐに気づいたのは、音や音楽、映像に細心の注意が使われていることで、その後も観ていて、マイケル・サルノスキ監督の高度なセンスとテクニックに感心することしきりであった。例えば、ベルディやモーツアルトのレクイエムのさりげない使い方や、全般的に物語は淡々と進むが、豚が盗まれるシーンで、ロブが倒れるのとシンクロして画面も90度回転するところや、アミールを呼び出すシーンでは、電話をかける動作などは省いて、一転、やってきたアミールがクラクションを鳴らしてロブに知らせるシーンへと飛ぶところなど、緩急の使い分けも小気味いい。豚の死を告げられたロブが慟哭するシーンでは、あえて無音にすることでロブの悲しみを想像させ、観ているものの情感に訴える手口も実に効果的である。映像も、要所要所で出てくるシンメトリーな構図が、なかなかと美しい。
そして、肝心の主題ーこの映画は一体何を表現しているのかという点については、主人公のロブが視線を上げ、何かを見上げるシーンが都合四回出てくるが、これらのシーンをどのように解するかが、この作品理解の胆だと私には思われる。つまり、この四つのそれぞれのシーンが、指し示すベクトルの交差するところに、この作品の主題というものが存在しているのではないかという風に私は理解したのであるが、さて、どう思われるであろうか。
一つ目は、アミールの部屋での二人の会話シーンの中に出てくる。アミールが家族の事を話し出し、専制的な父親についてクズ野郎だと述べたのに対し、「そんなことは、気にするな」と言ったのに続けて、ロブはこんな話をするのだが、彼は一体何を言おうとしているのだろうか。
<人間がはじめてこの地に到着したのは、約一万年前だ。海面は今よりも約120メートル低かった。200年ごとに地震が起きる。海沿いでな。地震が起きたら、その衝撃波で、街の大半が平地になるだろう。橋という橋が崩れ落ちる。ウィラメット川にな。逃げ場がない。たとえ助かっても、揺れをしのいだ者はじっと待つ。5分後に、見上げると、波が見える。30メートル級だ。すると人間もなにもかも、海の底にもっていかれる。再びな。・・・フレンチトーストには 硬いパンを使え。>
二つ目は、ロブが昔住んでいた家に行き、そこにいた子供と会話を交わすシーンの中である。背後からの映像で、気を付けていないと見過ごしてしまうが、昔あった柿の木を探して、ロブが見上げる動作をするのが頭の動きから判る。ここのセリフも意味深である。
<柿は、オレンジ色の果物だ。形はトマトに似てる。しっかり熟してないとマズくて食べられない。でも、じっくり待つと、タンニンってやつが抜けて、おいしくなる。>
三つめは、ロブがアミールの父親の家に向かうシーンである。まるでロブがやってくるのを見越していたようにアミールの父親が、ベランダにいるのをロブが見上げるシーンである。ここでのセリフはない。
そして、四つ目は言うまでもなくエンディング・シーンである。妻の誕生日プレゼントのカセット・テープー彼女が演奏するスプリングスティーンの「アイム・オン・ファイヤー」を聞きながら、ロブが視線を上に挙げたところで、突然映像が切れて終わる。このエンディングは、一体何を意味しているのであろうか。また、この「アイム・オン・ファイヤー」という曲は、以下の歌詞が示すように、誕生日に女性から贈る曲としては、いささか意外な選曲ではないだろうか。
≪そこのカワイイ子、パパは家かい?君を一人残して出掛けていった?悪い欲望に駆られちまう。体中が熱く燃えてる。そいつは、よくしてくれる?俺以上のことを、君にしてやれるのか?俺ならもっと高い所へ。体中が熱く燃えてる。切れ味の悪い尖ったナイフが、俺の頭蓋骨に6インチ刺さる気分。夜中にシーツがぐっしょり濡れ、貨物列車が頭の中を走り抜ける。君だけが俺の欲望を冷ます。俺は激しく燃えてる。体中が熱く燃えてる。体中が熱く燃えてる。≫
最後に、字幕のクレジットには渡邊貴子とあるが、これは素晴らしい達意の字幕であることも申し添えておこう。